外交に「普遍的正義」や「好き嫌い」はいらない
(2)過去3000年間の国際政治において、世界中の国に共通する文明規範や価値判断や道徳基準は、一度も存在しなかった。アフリカのマサイ族、中央アジアのアフガン人、アラスカのイヌイット、極東の日本人等の価値判断基準は、まったく別のものである。
どの民族、どの文明の価値判断が正しいのか、ということを判断できるのは「神」や「仏」のみであり、自民族中心的な思考のバイアスから逃れられない人間には、不可能な行為である。
したがって諸国は、自国(自民族)の思想的・宗教的・文明的な「優越性」や「普遍性」等を口実として、他国に対して内政干渉したり軍事介入したりすべきではない。そのような行為は、国際政治におけるバランス・オブ・パワーの維持を困難にするだけである。
国際政治に、American Universalism(「アメリカ人の価値判断は、世界中で普遍的なモデルとなるべきだ」と考えるアメリカ中心主義)やグローバリズム、マルクス主義、イスラム原理主義、「國體の大義」「八紘一宇」「中華文明の優越性」等の独善的な理念を持ち込むべきではない。リアリズム外交に聖戦的・十字軍的な「普遍的正義」や「好き嫌い」の情緒は不要である。
国際政治をするのは「国民国家」それ自体
(3)諸国の統治者は、国際法、国際組織、国際的な紛争処理機関、軍事同盟関係、集団的安全保障システム等の信頼性と有効性は、限られたものであることを常に意識して行動すべきである。国際政治の行動主体はnation‐state(国民国家)なのであり、国際機関や同盟関係ではない(つまり、日本の外交と国防の主体は日本政府なのであり、アメリカ大統領のクリントンやオバマやトランプではない。もっともらしい外交理論を並べたてる国連安保理やワシントンDCの政治家の行動が、日本というnation‐stateによる主体的な行動の代用品になるわけではない)。
自助努力(自主防衛の努力)を怠る国家(=戦後の日本のような国)は、いずれ国際政治の急変事態において脱落国や隷属国となる運命に遭遇する。
以上の三点が、リアリズム外交(バランス・オブ・パワー外交)の重要なコンセプトである。
筆者が本稿において採り上げるビスマルクは、1871年にドイツ統一を達成し、ドイツ帝国初代宰相となった。軍事力によるドイツ統一(「鉄血政策」)を成し遂げ、その後ヨーロッパ外交の主導権を握り、ヨーロッパの平和維持に手腕を発揮したビスマルクは生涯、上記1~3のリアリズム外交を実践した人物であった。