「鉄血宰相」は「慎重で柔軟で反戦的」に変身した

ドイツ建国の父」ビスマルクは、不思議な人物であった。矛盾の塊であった。彼の複雑な思考と矛盾した性格は、多くの人に誤解・曲解されてきた。そのため過去150年間、彼に対する毀誉褒貶きよほうへんは激しかった。ドイツ嫌いの傾向がある欧米のリベラル派やユダヤ系言論人にとって、ビスマルクは「不寛容で権威主義的なドイツ独特の国家主義を作った張本人」であり、「ヒトラーのような独裁者を生み出したドイツの不安定なポリティカル・カルチャーを作った男」であった。

その一方で、保守派の言論人や国際政治学者にはビスマルクを絶賛する人が多かった。戦略家のジョージ・ケナン、ヘンリー・キッシンジャー、ケネス・ウォルツ(国際政治学ネオ・リアリズム学派の創立者)等は、ビスマルクを「リアリズム外交の天才」と絶賛している。

1860年代のビスマルクは、大胆・冷酷・狡猾な外交政策により近隣のデンマーク・オーストリア・フランスを次から次へと軍国プロイセン(プロシア)と戦争せざるを得ない立場に追い込んでいった非情で好戦的な外交家であった。しかしこれらの三戦争に勝利してドイツ統一に成功したビスマルクは、あっという間に「慎重で柔軟で反戦的(避戦的)な現状維持派」に転身したのである。

過去五世紀の国際政治史において、これほどまでに鮮やかに大変身した外交家は他にいない。プロイセン宰相期(1862~70年)のビスマルク外交と、ドイツ帝国宰相期(1871~90年)のビスマルク外交を比べると、まったく別の人物が外交・軍事政策をやっているかのような印象を受ける。それほどまでに際立った変身であった。

無節操なオポチュニストか、冷酷非情なマキャベリストか

欧米諸国において未だにビスマルクに対する毀誉褒貶が激しいのも、そのせいである。多くのリベラル派にとって、ビスマルクは「無節操なオポチュニスト」であり、「冷酷非情なマキャベリスト」である。しかし保守派(特に国際政治学のリアリスト派)にとって、彼は「軍事力を使うべき時と使うべきでない時を明瞭に峻別する能力があった、稀まれに見る理性的なリアリスト」なのである。

過去五世紀間の国際政治をバランス・オブ・パワー(勢力均衡)外交の視点から見るリアリスト派と、政治的なイデオロギーの立場(国際政治を、自由主義と権威主義の闘い、民主主義と軍国主義の闘い、社会主義と資本主義の闘い、といった「主義」によって判断する立場)から見るリベラル派とでは、ビスマルク外交に対する評価が正反対になってしまう。