利己的な誘惑「合成の誤謬」から抜け出す方法とは

第2のグループは、節電に対する広報を強化するというものである。東日本大震災後、福島第一原子力発電所の事故の影響を直接に受けた東京電力の管区内では、3月後半から4月にかけて計画停電を経験したこともあって、節電の意識はすでに高い。また、そもそもこの種の節電アイデア・コンテストも節電の広報を目的としている。

市民の暮らしにも影響を及ぼしている電力不足。(AP/AFLO=写真)

市民の暮らしにも影響を及ぼしている電力不足。(AP/AFLO=写真)

すでに、週間電気予報と消費電力の実績が、大学のホームページと正門に貼り出されている。しかし、電力消費による意識改革に頼らざるをえないという間接的な影響に期待するために、その効果がどれほど望めるかは未知数である。

第3は、節電のためのインセンティブ・メカニズムを構築するアイデアである。例えば、大学の寮において、節電に協力した部屋の住人には報奨金を与える一方、15%節電を達成できなかった部屋の住人にはペナルティを科すというようなものである。いわゆる「アメとムチ」である。節電の実効性は、ミクロとマクロの不整合性の問題に依存する。すなわち、一人一人の消費電力量はそれほど大きなものではない(ミクロ的側面)。

しかし、それらを足し合わせた総計が全体の消費電力として電力供給能力の範囲内に収まらなければ、東京電力管内で停電してしまう(マクロ的側面)。マクロ的側面から見た全体の消費電力の節約は、ミクロ的側面から誰かが行えばよい、自分一人だけ電力を多少消費しても問題ないだろうと考えてしまうという問題がある。

この種のミクロとマクロの不整合性の問題は、マクロ経済学の教科書に一番最初に登場する。マクロ経済学の教科書では、「合成の誤謬」と呼ばれる。

「合成の誤謬」としてよく挙げられる例は、映画館で座って映画を観ていたところ、前の人の座高が高く、よく見えない。立ち上がって見れば、よく見えるから一人が立ち上がる。そうすると、その後ろの人たちは、もっと見えなくなるので、みんなで立ち上がって、映画を鑑賞する。結局は、みんなが立ち上がって、(最前列の人は除いて)みんながよく見えなくなる。しかも立ち上がっているので、座ってよく見えない状況に比較して見える状況が改善するわけではないにもかかわらず、立って映画鑑賞を行うために疲れるだけである。

それでは、このような「合成の誤謬」からどのように抜け出すことができるのであろうか。1つの解決法は、一人一人が自分だけ電力を多少消費しても問題ないと考えて節電に協力しなければ、マクロ的側面として全体の消費電力が電力供給能力を超えることを話し合い、理解し、協調して一人一人が電力消費量を節約することである。しかし、国民全員が集まって、このような協調は不可能である。

また、たとえこのような協調が可能だとしても、他の人たちが節電していることを前提として、ミクロ的に自分だけ電力消費量を増やしても、マクロ的には全体の電力消費量に影響しないと利己的に考えたくなる誘惑を抑えることはできない。

そして、このような誘惑に乗って、国民全員がこのような行動をとれば、マクロ的に全体の電力消費量に影響してしまう。まさしく「合成の誤謬」が起こる。

それでは、どう対処すべきかというと、報奨金と罰金、すなわち「アメとムチ」から構成されるインセンティブ・メカニズムが必要となる。今回の経済産業大臣による電力消費に対する「電力使用制限令」は、目標値を超えて電力を消費すると1時間当たり100万円の罰金という、インセンティブ・メカニズムの「ムチ」だけが科されている。

現在の政府は、深刻な財政赤字を抱え、近い将来に消費税を引き上げざるをえないので、報奨金制度、すなわち、「アメ」が伴っていないのはしようがない。しかし、罰金の「ムチ」は、15%の節電を達成することに実効的かもしれないが、それ以上のものではない。