1番じゃなくていい、3万番で合格はする
――自分が受験生の頃、和田さんがどこかで「一流と言われる大学に合格する人は毎年2~3万人いる。その中で1番になるのは難しいかもしれないけど、3万番になるのは決して難しいことではないはずだ」と発言されていたのを読んだ覚えがあります。受験勉強はそれだけ間口が広いものだということですね。
しかも、その「3万人」という合格者数は昔から変わってないですからね。2019年に生まれた子供は86万人しかいないそうですよ。第二次ベビーブームの世代は200万人以上いたわけです。それを考えたらいかに易しくなっているか。そう考えればいいのに、なんとなくあきらめの風潮があるんですよね。
――東大や医学部を目指すような子は賢いからこそあきらめが早い、と言うこともできるんでしょうか?
その可能性はありますね。人間ってやっぱり厚かましさは大事だと思っていて。例えば、私の弟(最高検察庁公判部長・和田雅樹氏)も、灘中に落ちて入学した学校が、東大には10年に1人ぐらいしか行っていないようなところだったんです。そこで学年で60~80番ぐらいだったから、「関関同立を目指せ」と教師に言われていたんですけど、「この学校のやり方が悪いだけで、灘校のやり方を使えば東大に受かるはずだから教えてほしい」って高3になる直前ぐらいに僕に言ってきたんです。彼はその厚かましさで実際に東大に入ったし、それがのちに出世争いで生き残っていることにもつながっていると思うんですよね。
東大に入るような人には2種類しかいない
――教師に言われたことを信じるのではなく、自分でやり方を探すことで東大に受かる人もいる、と。
結局、東大に入るような人には2種類しかいないと思っているんです。まず、学校や塾の先生や親の言いなりになって一生懸命勉強して、ずっと優等生を続けて東大に入るような人。そういう人は、大学でも「優」をいっぱい取ろうとして、最終的に大きい会社や役所に入る。ずっと上の言うことばっかり聞いてきたから、組織を守るために明らかにウソの答弁を平気でするようにもなるわけです。
一方、僕の勉強法の本を読んだり、ある程度自分で工夫して勉強したりして東大に入る人もいるんです。そういう人ってやっぱりわりと柔軟な気がするんですよ。だから、大きい会社に入らずに起業しちゃったり、自分の好きなことをやったりするんですね。
つまり、受験勉強でも上から言われた通りのことだけをやるのであれば、あんまり頭が良くなるとは思えないんですね。「とにかくこの点数を取ればいいんだな」と考えて、自分で工夫をする経験を持つことは、僕は悪いことじゃないと思うんです。