ボクは何も答えられなかった

「先生、聞きたいことがあるけど、質問していいですか」とおっしゃいます。「もちろんです。どうぞ」というと、「どうして私がアルツハイマーになったんでしょうか。ほかの人じゃなくて」と聞くのです。

アルツハイマー型認知症はアミロイドβというたんぱく質が脳に蓄積して、といった類の話ではなく、「ほかの誰かじゃなくて、なぜ自分がならなくちゃいけなかったのですか」というストレートな質問です。その方の表情はとても真剣で、何というか、全身から悲しみが滲み出ているような感じでした。

みなさんだったら、何と答えますか。

ボクは答えられなかったな。

認知症の方が真剣勝負で向かってこられたとき、その場しのぎの答えや生半可な慰めは通用しません。そんなときは、その方にきちんと向き合って、苦悩や悲しみに寄り添うしかないと、それまでの臨床経験から感じていました。

あるいは「人間の本質は変わりませんよ」というべきかとも思いましたが、そうしたことを話すよりも、ボクも一緒に悩みますよ、と伝えたいと思いました。

だからそのとき、ボクにできたことといえば、その方の手の上に自分の手を重ねて、「そうですねえ」といって握り続けることくらいでした。

その男性は、会社で重要な職に就いていた方でした。おそらく、その方からすれば、「どうして私が? 何も悪いことをしていないのに」「社会でそれなりの仕事をしてきた私が、この期に及んでなぜ?」という気持ちが強かったのだろうと思います。

当時はいまよりも認知症への理解が進んでいませんでしたから、そうとうショックだったのでしょう。

ショックと言えば嘘、でも仕方ない

翻ってボクはどうだったかって?

ボク自身でいえば、認知症になったのはしようがない。年をとったんだから。長生きすれば誰でもなるのだから、それは当たり前のこと。ショックじゃなかったといえば嘘になるけれど、なったものは仕方がない。これが正直な感想でした。

もちろん、もどかしくなる気持ちはたくさんあります。だって、今日が何月何日で、何曜日かもわからなくなるのですから。認知症でいちばん多いアルツハイマー型認知症の場合、一般的に、まず時間の見当がつかなくなり、次に場所の見当がつかなくなり、最後に人の顔がわからなくなるといわれます。

この世に生きているうちは何とか症状が進むのを先延ばしにして、できれば、人の顔がわからなくなるのはあの世に行ってからにしたい。家族の顔もわからなくなるのは、あまりにつらいから。ただ、そうなると今度は、あまり長生きはできないということにもなります。

そういえば昔、聖マリアンナ医科大学(以下、聖マリアンナ医大)に勤めていたときに先輩から、「あなた自身が同じ病気にならないかぎり、あなたの研究は本物じゃない、認めない」といわれたことがありました。その先輩に向かって、いまなら「ボクも本物になりました」といえますね。