「生きづらさ」を解放できる匿名空間

「家族」や「学校・企業」、「地域社会」での実名的なつながりに、居心地の悪さ、生きづらさを感じている人たちがいる。自分自身を演じることや、周囲の期待を担うことに疲れている人たちがいる。その生きづらさを解放できる場として、匿名的な空間、第4空間がある。その一つがインターネットだ。

こうしたネット・コミュニティの中には、自殺をキーワードにしたつながりもある。当事者同士が経験を話し合ったりするなど、共感的な支え合う自助的な面がある。その周辺には、当事者ではないが、自殺を止めたい人・団体、専門職が参加する場合もある。

その一方で、自殺を助長する情報ややりとりもないわけではない。興味本位でアラシをしてみたり、精神的に弱っている人をナンパ対象にしたりする人たちもいる。

「ネット」と「自殺」の親和性

ネットと自殺というキーワードは、以前から親和性があった。ネット上で見ず知らずの人同士がつながり、自殺をする「ネット心中」があった。多くの人たちに、ネットの中で自殺に関する話題がされていることを知らしめ、時には、類似の自殺が連鎖した。

いわゆる自殺系掲示板や匿名掲示板、ツイッターなどが接点になることが多い。かつて、止めようとして、ネット心中のグループに加わり、なくなってしまった人がいたケースもあった。取材できた人の中には、何度も未遂をしている人が多かった。過去の取材例から振り返る。

リアルな世界で居場所を失った少女

〈私は私を知らない人たちと逝きます。私を知っている人たちには迷惑をかける存在でしかありませんでした。そうあり続けるでしょう。迷惑かけてばっかりかけてごめんなさい〉

この遺書を書いたのは、都内の大学生だった聖菜(当時19歳)だ。2002年11月のことだ。ネット心中が連鎖するようになったのは03年以降だが、それ以前から、自殺系掲示板にアクセスしていた。遺書を書いたときには、心中相手募集に応募した。

〈20代の男です。一緒に死ぬ人を募集します。東京近郊なら、老若男女を問いません〉

この頃、大学のサークルで仲間に妬まれ、悪口を言われていた。自殺を考えたが、自分からはできず、「殺して欲しい」とも思いながら、遺書を書いた。

自殺を意識したのは、1994年の愛知県西尾市で起きたいじめ自殺だった。当時、小学生でいじめられていた。無視だけでなく、暴力もあったという。無気力になり、死を思うきっかけとなり、報道によって、逃げる手段として自殺も選択肢となっていった。

家族にも居場所はなかった。常に成績がよい妹と比較されて育った。「お姉ちゃんなのにダメね」という母親からの言葉が耳を離れない。いじめのことを両親に言っても、認めようとせず、希死念慮が高まった。