ネット心中の呼びかけに応じるも…
応じたのは聖菜のほか、女子高生がいた。しかし、「ネット心中」は実行されない。女子高生が日頃の悩みを話し始めたことで、他の2人が励まし合った。そこで、男が〈もう死ぬ理由がなくなった〉とメールを送ってきて、解散になった。
03年1月になり、再度、「ネット心中」の呼びかけに応じた。当時の日記には、こう書いてある。
〈1月16日 今日も死ねなかった。レスのメールが来た。どのようにしにましょうかと。って、そんなこときかれても思いつかんからメールしたんだよ〉
〈1月19日 樹海へ生きましょうと。一緒に線路に飛び込みましょうと。△△△さんと。○○さんと。◇◇◇さんと。××さんと。早く死にたい。死ねない。死ねない〉
結局、このときのメンバーとは出会わず、3月、見知らぬ人たちと会うことになったが、一人の男がこう言ってきた。
死を考えることで、生きることを考えた
結局、その男のおかけでこのグループは自然消滅した。なかなかやりとりが続かないためか、6月には自ら心中相手を募集することになった。
数日で10人から返信があった。
しかし、急にリアルに感じたのか、メールを読むことを避けた。その一方で、同じ時期に、呼びかけに応じていた。その中には、実際に実行したと思われネット心中の報道もあった。ただ、このとき聖菜が参加しなかった。希死念慮に耐えきれず、心中実行日前に、一人で未遂をし、入院したためだ。
「メールのやりとりで死を考えることは、絶望から抜け出し、生きることを考えることにもなっています。だから、『死にたい』って思ってもいい」
聖菜の場合、死にたいという苦悩がネット・コミュニケーションに現れた。そして、ネット心中当事者の手前まで至った。しかし、現在では、ネットは経験を語る場として機能しているようだ。
つぶやくのは、助けを求めているから
現在では掲示板よりも、SNSが主流になっている。友梨(仮名、20歳)は、ツイッターで、〈死にたい〉〈消えたい〉とつぶやいたことがある。小学4年生の頃から「死にたい」と思っており、吐き出す手段として、ネガティブな感情や不安、不満をつぶやくための「病み垢」を作っている。
「ツイッターでつぶやくのは、助けを求めているためです。学校や家族がきちんと相手にしてくれないからです。本当に、ギリギリの心情なんです」
〈死にたい〉と呟くと、どんな反応があったのだろうか。