この時、トーメンの専務は、奥田氏に「奥田さん、それは依頼ですか、それとも命令ですか?」と訊いたという。当時、トーメンに対するトヨタ自動車グループの持株比率はまだ3割程度で、法律的には経営権はトーメン役員会にあった。当然、依頼であるという返事を予想していた。ところが奥田氏は「命令である」と答え、トーメンはプロジェクトからの撤退を余儀なくされた。前後して、ブラックリストの草案からトーメンの名前を削除するために、元伊藤忠商事常務で米国政府とパイプを持つ近藤剛氏(現バーレーン大使)らが、親日派のアーミテージ国務副長官(当時)などを通じて働きかけをしたといわれている。

2005年のイランの大統領選挙で対外強硬派のアフマディネジャド氏が当選し、国連による核開発中止要請を拒絶したりし始めると、欧米諸国との関係は急速に悪化した。一方で、原油価格が上昇し、国際石油開発が世界各国(インドネシア、カスピ海沿岸、オーストラリア、中東、南米等)で手がけていた開発案件が儲かり出し、株主から「なぜ、リスクばかり大きくて儲からないアザデガンをやるのか?」という声が上がり始めた。

結局、イラン側からは開発着手時期の遅れを指摘され、すでに開発に投じた94億円の回収の目処が立たないまま、同社は2006年10月に、75パーセント保有していた開発権(残り25パーセントはイラン側が保有)のうち65パーセントをイラン側に譲渡すると発表し、プロジェクトの主導権を返上した。経済産業省の焦り、トーメンの商魂、エネ庁の石油・天然ガス課長の功名心によって推し進められた「省益油田」は、挫折すべくして挫折した。

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