「海を渡る」――海外の事例を探ってみると「井の中の蛙」にならずに、より広い視野から普遍的に物事を考えられる。そこから本質が見えてくることも多い。

国際関係について考える際、私は国際法や国連憲章を見ることにしている。これも1つの「海を渡る」思考法といえるだろう。

国内法だけでは「世界レベルの常識」が身に付かない

私は、何事もまずは原理原則を用いて考える。経済について考える際は、もちろん市場原理だ。感情や偏見の余地がいっさいない市場原理の視点から見れば、どこでも、誰に対しても通用するロジックで考えることができる。

国際法や国連憲章は、市場原理ほど揺るぎないものではないまでも、世界で通用するロジックを知る手っ取り早い方法だ。外交を考えるときには、まず参照するといいだろう。

日本の国内法だけで考えていると、井の中の蛙になりがちだ。どうしても日本人同士だけでしか通用しない議論になってしまう。外交にはつねに相手国の存在がある以上、それでは外交について筋の通った考え方をしているとはいえない。そこで国際法や国連憲章に当たってみると、いわば「世界レベルの常識」で考えることができるのだ。

ちなみに、勘違いしている人がいるかもしれないので付記しておくと、国際法という法律が、日本の刑法や民法のような形で存在するわけではない。国内法は、その国の議会が制定するが、国際社会には、そうした立法府がない。国連を思い浮かべたかもしれないが、国連は、加盟国に対して拘束力のある法律を定めているわけではないのだ。

世界の価値観やモラルも含まれている

国連には「各国の主権は何事においても守られるべき」という大理念がある。立法は、国家主権の代表格である。もし国連が各国の国内法を凌駕する法律を作ってしまったら、各国の主権をみずから侵すことになってしまい、大理念と矛盾することになってしまう。

だから、国連といえども、独自の法律で各国を拘束することはできないのである。

では、いわゆる国際法とは何を指すのか。1つには、条約や協定など複数国間で明文化されたものである。また、明文化されていなくても、長期間、ある種、慣行として国際社会で守られてきたルールも国際法として扱われる。

先ほど、「国際法や国連憲章に当たると、世界レベルの常識で考えられる」といったのは、こういうわけだ。国内法ほど明確な規定ではないが、国際社会で共有されている価値観、モラルといったらいいだろうか。

こうした視点を持っておくと、国際関係を考えるセンスが一気に鋭くなるのである。