長嶋茂雄、木村拓哉両氏の競演CMが話題となっているセコムは由緒正しいベンチャー企業だ。1962年に飯田亮が日本警備保障(セコムの前身)を興すまで、日本に民間警備業は存在しなかった。まったく新しい業態だったのである。
ベンチャーの草分け、セコムも今では日本を代表する企業となり、飯田も財界の重鎮として政府から各種会議の座長を委嘱されるまでになった。そんな飯田は部下をどうやって育ててきたのか。
出来心が芽生えたらオレの顔が浮かぶように
セコムを始めて5年経った66年、うちの社員が警備先のデパートから宝石を盗んで逮捕された。私は三重県に出張していたけれど、あわてて帰京し、すぐに得意先に謝りに行った。
「まことに申し訳ありません。二度と起こしません」とひたすらお詫びした。すると、得意先は「飯田さん、わかった。これからしっかりやってくれ」と励ましてくれたんだ。ところが、それから1カ月くらいの間に窃盗事件が6回も続けて起こった。度重なると、さすがに相手も「しっかりやってくれ」とは言わない。被害にあった得意先の担当者から「ふざけるな」と雑誌を顔に投げつけられたこともあった。
当時、私はどうやって会社の危機を乗り越えていこうか、そして、どうすれば社員がセキュリティという仕事の社会的意義を理解してくれるか、そればかりを考えていた。不幸中の幸いというか、得意先から契約を切られたことはなかった。しかし、私としてはとにかく社員に教育をしなくてはならない。いろいろと方法を考えたのだけれど、結局、思いついたのは単純なことだった。
「オレの顔を全社員に覚えてもらおう。そうすれば出来心で悪いことをしようとしたとき、オレの顔を思い浮かべるんじゃないか。飯田が困ると思うのでは……」