ここ10年の箱根駅伝で常に3位以内という安定感を誇る東洋大学。その秘訣は何なのか。陸上競技部長距離部門の酒井俊幸監督は、かつては駅伝のためのチーム作りをしていたという。だが、ある時から個人にあわせた指導法に変えた。その結果、駅伝でも安定的に勝てるようになったそうだ――。

※本稿は、酒井俊幸『怯まず前へ』(ポプラ社)の一部を再編集したものです。

提供=東洋大学
12月13日に行われた、2020年箱根駅伝の壮行会の様子。一番左が酒井俊幸監督

個人に合わせた指導法に変わっていった

私が東洋大の監督に就任したのは2009年4月、第85回箱根駅伝で初優勝した後でした。箱根駅伝の5区で区間新記録を出し、優勝に貢献した柏原竜二が2年生になり、エースとしてけん引していました。当時は柏原の力が抜けており、彼だけが別メニューで練習することもありました。

ただ、チームとしては、箱根駅伝を走った主力メンバーが卒業した後で、柏原がいるとはいえ発展途上でした。就任して数年は、駅伝のためのチーム作りが核となりました。つまり、みんなで同じトレーニングをして強くなろう、という方針でした。

柏原の2学年下には、高校時代から実力があった設楽啓太(現・日立物流)、悠太(現・Honda)兄弟がおり、駅伝にとどまらず、世界を見据える選手が出てきました。そのため、トレーニングも一律ではなく、だんだんと多様化していきました。

柏原は2年時にユニバーシアードの10000mで8位に入賞し、2011年の世界選手権を目指すことも考えていました。また、設楽兄弟らの2学年下に、高校トップレベルだった服部勇馬(現・トヨタ自動車)が入学してきたことで、特に就任5年を過ぎてからは、トレーニング方法、出場レースの選択など、個人に合わせることが増え、柔軟性を持った指導法に変わっていきました。

撮影=松本健太郎
選手のタイムを計る酒井俊幸監督