「経営者の妻」だからできることがある

企業とは違い、個人商店や農業・漁業などにおいては、女性が働くことが当たり前である。女性をなくして成り立たない産業・家業・業種は昔からあるし、特にスタートアップ企業では夫の片腕として当然のごとくその任を負うことも多々ある。

だが、手足だけの労働から、組織として大きくなるにつれてそれに相応した知識や技量が求められる。社長の奥さんだからその任が務まるという話ではなくなる。

小嶋は退職後、経営者の妻たちを集めて勉強会を開いた。『貞観政要』などの読み合わせを行ったり、会議の進め方、傾聴の仕方など具体的なスキルまでをその場で勉強したりしていた。みな、すでに自身の会社で肩書きをもっているような方々である。

あるとき私に、「本当に理解し経営者として務まるのはたった一人やな」とつぶやいたことがある。

すでに肩書きはみな社長・副社長・専務・財務部長などと立派であるものの、意識・能力はまったく伴っていなかったのであろう。

「キャリアウーマン」は好きではなかった

これはなにも女性に限ったことではないが、社会で働く人、特に肩書がつく人たちには単なる「気張り」ではなく、より一層覚悟、能力が求められる社会であることは間違いない。一言でいえば、比率・飾りの任用や甘えのない世界である。

経営するとは、それほど難しく、覚悟・能力を必要とし、態度変容が必須なのである。

小嶋は、女性の「出産・育児」に対して配慮を示すものの、片意地はった「キャリアウーマン」活動には賛意を示さなかった。人は等しく職業をえらぶ権利があり、それを果たすにはあくまでも本人のそれなりの意思と能力が伴わなければならないという考え方であったからである。

いまでは女性の権利や社会参加はめざましいものがある。特に高学歴女性の意識変化は多様になり、その生き方もいろんな選択肢があるようになった。特に職業的にはほとんどの分野でその進出が何ら違和感なく受け入れられるようになった。