マッサンがもたらしたジャパニーズウイスキー文化
ウイスキーバブルの理由を探る前に、日本におけるウイスキーの歴史を簡単に見ていこう。ウイスキーが最初に日本に伝えられたのは1853年(嘉永6年)ペリー来航の年。国産ウイスキー第1号は1929年(昭和4年)寿屋山崎工場から。現在のサントリー山崎蒸留所だ。世界大戦後は洋食化が進み、国産ウイスキーの生産が増え、ニッカ、三楽オーシャン、キリン・シーグラムなどの名を聞くようになる。
日本のウイスキーは、マッサンこと竹鶴政孝氏のスコットランド留学(1912年/大正元年)によってもたらされた本場スコッチウイスキーの製造技術をベースに日本人ならではの感性を取り込み発展してきた。以来、100年、日本産ウイスキーは、穏やかながら、モルトの風味や樽熟フレーヴァーのバランスが良く、水割りにしても香味が薄まらないとして需要を伸ばし、スコッチ、アイリッシュ、アメリカン、カナディアンと肩を並べる世界五大ウイスキーの一つとなっていく。
しかし、長い間、庶民のあこがれは国産ではなくやはり輸入ウイスキーだった。海外旅行のお土産として高級スコッチや高級バーボンなどを大切に持ち帰った人が皆さんの周りにもいるだろう。
ウイスキーブームは1983年をピークにいったん下火へ
日本における輸入ウイスキー消費増加のきっかけは1971年(昭和46年)のウイスキー輸入自由化と翌年の関税引き下げでおこった洋酒ブームだ。バーやスナック、すし屋や居酒屋でも「ボトルキープ」がはやり始めたのもこの頃。ウイスキーが高級であればあるほど客のクラスも上がるという心理も働き、ボトルキープ制度は一世を風靡した。
しかし1983年をピークに消費は急激に冷え込んでいく。原因は、ウイスキーの増税による値上げと焼酎ベースのチューハイの台頭だ。
さらにバブル期に入るとワインブームが起こる。また日本酒業界でもフルーティーで飲みやすい吟醸、大吟醸が各地の地酒蔵から続々発売された。もちろんビールも忘れてはならない。アサヒスーパードライは1987年の発売。大手ビール会社のドライ戦争が勃発した時期。つまりは、飲む酒の種類がぐっと増えた時代ともいえる。
そのうえ味わいのトレンドは、淡麗辛口の日本酒であったり、フルーティーな白ワイン、渋みの少ない赤ワインであったり、喉ごしいいチューハイであったり、キレがいいドライビールだったりと、すっきり軽快で飲みやすい味わいがトレンドの主流。
ウイスキーは、スモーキーな香りが強く、濃厚で個性的な味わいのうえに、蒸留酒だから当然アルコール度数も高い。気軽に飲むには敷居が高いし、おじさんのイメージが強く女性にも若い男性にも敬遠され、食事にも合わせにくいため徐々に飲食店のメニューからも酒屋の棚からも消えていったのだ。