日本は「原則すべての記録は保存する」考えへの大転換を
この2つの考え方の違いは、公文書管理法を制定するときやそれを運用する際に重要な違いとして現れる。
アメリカ的な考え方なら、とにかく全部残すことが基本。保存期間を過ぎたところで、必死になって廃棄・消去するようなことはしない。保存期間を過ぎれば紛失・劣化の責任を問われなくなるだけで、あえて消す作業まではしない。残っていればそれでいい。
だから文書・記録の種類分けを詳細に行って、保存期間を詳細に分類する必要はない。しょうもないメモや記録類であっても、金や人を使ってどうしても残しておかなければならない最低限の期間を保存期間として、あとの文書・記録はすべてを残すことにすればいいだけ。保存期間の種類は実にシンプルなものになる。職員の意識も、原則すべてを残すということで徹底される。
ところが日本の考え方の場合には、保存期間を過ぎれば「消す作業」をすることになる。とにかく早く消したいので、文書・記録の種類によって詳細に保存期間を定め、できる限り早く消去できるようにする。保存期間はできる限り短くし、特に重要な文書・記録だけ保存期間が長くなるようにする。
確かにアメリカ的な考え方だと、文書・記録の保管場所が莫大に必要になるし、保存するための人員とお金も必要になる。
では日本的な考え方のほうが効率的なのかと言えば、必ずしもそうではない。保存期間が文書・記録の種類によって複雑に区分けされるので、その文書・記録がどの保存期間にあたるのかをいちいち判断しなければならないし、なんといっても保存期間を過ぎた後にいちいち消去する手間暇がかかる。
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桜を見る会の招待客名簿のバックアップデータの復元については、役人の報告を鵜呑みにするのではなく、懸賞金を出してでも、日本に存在する優秀な技術者たちに、復元の挑戦をさせるべきだと思う。一度挑戦してみて、それでも復元が無理なら、政権の主張もやっと国民は渋々受け入れてくれると思う。
ただし、成熟した民主国家を成り立たたせるためには、現在の文書・記録の廃棄ルールを抜本的に変える必要がある。「原則すべての記録は保存する」という思想に大転換するためには憲法を活用することが有効である。
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※本稿は、公式メールマガジン《橋下徹の「問題解決の授業」》vol.180(12月17日配信)の本論を一部抜粋し、加筆修正したものです。もっと読みたい方はメールマガジンで! 今号は《【桜を見る会問題(4)】積極的に文書廃棄を進める日本政府はおかしい! 「原則保存」を徹底する新ルールの制定を》特集です。