私は高校生くらいの頃から哲学が好きで、周りの友人とディスカッションをして夜を明かすことも少なくありませんでした。「思いやり」という言葉にも引っかかりがあり、自分なりにずいぶん考えてみましたが、考えれば考えるほど簡単には使えない言葉だと感じます。そして「嘘をつかない」という言葉。これは本当に大切なことでしょうか?

たとえば、あなたが誰かからお土産をもらったとしましょう。それがあまり好きなものではなかったとき。あなたは「ああ、これ嫌いなんだよね」と言うでしょうか? また、誰かの家で夕飯をごちそうになり、あまり口にあわなかったときに「おいしくないです」と言いますか?

そう考えると、嘘をつくことで人を幸せにすることもあるのではないでしょうか。

進んで子どもたちに伝えたことはありませんが、嘘をつくことも、コミュニケーションスキルの一つと言えると思います。

大人の理想論を押し付けない

「自分に嘘をつかないことが大切!」という言葉もよくわかりません。そもそも「自分」がどういう人間なのかもよくわからないですし、自分の欲求や気持ちに正直になることはそんなにいいことなのか疑問です。

少しつらいときや疲れているときに周りの人から「辛そうだけど大丈夫?」と聞かれ、「大丈夫」と自分に嘘をつくことは、大事な社会的な要素なのではないかと思うのです(もちろん、無理をしなさいということではなく、体調の変化には気を付けるべきです)。

嘘をついて人の物を盗ったり、自分のなかにある良心に背いたりするというのはほめられたことではありません。ただ、心の在り方よりも、実際にどんな行動をするかのほうが大切だということは、子どもたちに伝えていかなければなりません。

「困っている人を助けたいけれど、勇気がなくて実行できない人」と、「ずるい気持ちがきっかけかもしれないけれど、困っている人を助けた人」がいたら、私は後者のほうが価値があると思うのです。

ドラマやアニメの世界のなかのような、理想的すぎるほどの価値観を子どもに押し付ける大人は少なくありません。こういった価値観からくる言葉は、子どもにとっていいものだと思われるからでしょうか(大人だって、守れないのに……)。

そんな言葉を鵜呑うのみにして、苦しんでいる子どもがたくさんいます。耳障りのいい言葉こそ、それが子どもにどんな影響を与えるか考えてみる必要があるでしょう。

▼まとめ ドラマやアニメの価値観はしょせん綺麗事きれいごと