一方で、仮に気が済むまで現場にいることができたとしても、結局は、これまでの「貯金」を使って楽にこなせるようなやり方を繰り返すだけなんじゃないか。そして、このままではもう成長できないかもしれないという不安もありました。

《キャリアを終える前に、もう1度自分の新たな可能性を切り開きたい》

ある時期から、そんな思いが頭をもたげてきました。「新たな可能性」と言えば聞こえはいいのですが、実現のためには泥くさい努力が必要です。あえて強い言葉を使えば、それは自分を「追い込む」ことです。

しかし、居心地のいいNHKにいたままでは自分を追い込むことはできません。だから「独立するしかない」。それが逡巡した末の結論でした。

なぜ、そんなことができたのかと自問自答することがあります。とくに独立志向が強かったわけではない私が、そんな勇気を奮えたのはなぜなのか。

行きついたのは、30代後半にアメリカ・ニューヨークで直面した悪戦苦闘の記憶です。あのころ経験した「追い込まれる」感覚。それがいま必要だと、50歳を目前にした私は痛烈に感じていたのです。

トラックに当たりケガでもすれば

2007年。私はNHKのアメリカ総局特派員としてニューヨーク勤務を命じられました。ついに憧れの海外勤務! そんな浮かれた気分は渡米後すぐに吹っ飛びます。

英語が満足に通じず、自己主張しなければ認めてもらえない孤独な環境に「追い込まれ」、結果的に大きく成長できたというニューヨーク特派員時代。

まず言葉が通じない。英語は日本で十分勉強してきたつもりでしたが、仕事で使えるレベルにはまったく達していませんでした。他の特派員は帰国子女など在外経験が豊富な人が多く、日本の学校教育しか受けていない私だけが「蚊帳の外」の状態です。

また、それまでの仕事のやり方がまるで通用しませんでした。日本では場の空気を読んで、皆の総意となりそうな言葉を選べばよかったけれど、ニューヨークではささいなことでも「私はこう思う」と、自分オリジナルの意見を言わないと相手にされないし、取材の仲間にも入れてもらえません。

そのうえ、これまで悩みや愚痴を聞いてくれた人も近くにはいない。どこにも逃げ場がないのです。生まれて初めて味わう絶望的な孤独の前に、私は茫然と立ちすくんでいました。

トラックにぶつかってケガでもすれば、みんなに同情されながら体よく日本に帰れるんじゃないか。そんなことまで本気で考えていたくらいですから、精神的にはかなり追い詰められていたと思います。体は正直です、生まれて初めて円形脱毛症になりました。

その代わり、言葉が通じないからこそできる深い取材もあることや、嫌がられても話を聞き続けることで、最後には相手のためにもなる場合があると知ったり、周りが全員反対しても自分が正しいと思ったことをやり続けるタフなハートが身に付いたり、それまでの自分にはなかった多くの貴重な武器を手に入れることができました。