昔は中国人が「対岸」に憧れていた

不思議そうにしている私を見た知人が口を開いた。

「信じられないと思うが、昔は中国人が向こう岸を憧れのまなざしで見つめていたんだよ。1950年代から60年代にかけて起きた大飢饉ききんや文化大革命の影響で、中国経済は大きく混乱していたからだ。多くの中国人が川を渡って、比較的豊かだった北朝鮮側に逃げたんだ。まさに『脱中者』さ。だが、中国が1980年代に入り、改革開放政策によって急成長を遂げると、人や物の流れは逆になり、中国側に脱北者がやって来るようになり、中国が北朝鮮の地下資源も輸入するようになった。そのころから北朝鮮は遊園地やホテルを建て、わざわざ中国側に見えるように華やかな結婚式を開き、夜になると、対岸と張り合うようにライトアップするようになったというわけさ」

峯村健司『潜入中国 厳戒現場に迫った特派員の2000日』(朝日新書)

まさに中朝両国の歴史を象徴するような場所なのだ。

ところが、北朝鮮で電力不足が深刻になった最近、この状況は変わった。ネオンが鮮やかな中国側とは対照的に暗闇が広がる。

「ここ数年、国境から北朝鮮を眺めているだけでもエネルギーと食糧事情が悪くなっているのがよくわかるよ。もう虚栄を張る元気すら残っていないのだろうな。脱北者も増えるばかりだ」

こう知人はため息交じりに嘆いた。

中国との国境沿いは、平壌と同じく北朝鮮の「ショールーム」と呼ばれている。外国に見せるために豪華な建物や施設が優先的に建てられているからだ。そこですら電力不足や食糧難が深刻になっていた。

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