20代で「神」。だが、誰かを妬み続けた

手塚治虫さんは20代の後半にはすでに「漫画の神様」と呼ばれていました。その一方で、自分の後から出てきた新しい才能に対し、たくさんの嫉妬をしてきました。

AFLO=写真
漫画家 手塚治虫氏

1950年代、福井英一さんの柔道漫画「イガグリくん」が大ヒットしました。手塚さんは戦後、ストーリー漫画を得意としてきましたが、イガグリくんのような武道(スポーツ)漫画は苦手でした。それに嫉妬したのか、とある雑誌でこの漫画のコマ割りを「悪い見本」と紹介したので、福井さんが激高したそうです。その後、手塚さんが謝って解決したとのこと。

60年代には白土三平さんが現れ、少年雑誌に漫画の連載を始めました。その漫画が手塚さんの過去の漫画にそっくりで、手塚さんが問題視して、ひと悶着ありました。しかし、その後白土さんは歴史大作の「カムイ伝」が大ヒットします。自分の作品を真似た漫画家がマニアックな雑誌で毎回100ページくらい連載していたことに相当嫉妬したようです。数年後、悩んだすえに手塚さんが発表したのが「火の鳥」です。カムイ伝をかなり意識した作品となっています。