「器械で維持」されていた女児の命

最後の可能性は膜型人工肺(ECMO=エクモ)です。心臓は自分の力で動いていますから、人工心肺から心臓の働きだけを除いたECMOをやるしかないと思ったのです。女児をICUに移送し、局所麻酔をかけて首を切開しました。1本のカテーテル(管)は頸静脈から心臓に入れて、血液を体外に出します。人工肺を通って血液は酸素化されます。もう1本のカテーテルは頸動脈に入っていますので、ここから酸素化された血液が全身を循環します。

ECMOを回し始めると女児の全身は桜色に色調を取り戻しました。勝負は1週間です。ECMOはいつまでも使用できません。体外循環の最も怖いところは、回路の中で血液が固まってしまうことです。このため、循環血液の中にはヘパリンという血液凝固阻止剤が入っています。ただでさえ、抗がん剤の副作用で血小板が減少しているのに、ヘパリンを使うと脳内出血を起こす可能性があるのです。

しかし、ECMO開始から1週間を過ぎても女児の肺の状態はまったく改善しませんでした。人工呼吸器をつけてすでに2週間が経過しています。血圧は低下し、しだいに除脈になっていきます。不整脈も頻発します。ペンライトを当ててみても瞳孔は開いたままで反応がありません。気管内の痰を吸引しても、咳のような反射はまったくありませんでした。脳内出血を起こしていることは、明らかでした。

毎日面会に見える両親の顔にも悲しみと疲れが滲むようになっていました。ECMOと呼吸器が動いているだけで、女児の命は器械によって維持されているだけという状態です。

このままだと、子どもにも両親にも残酷すぎる

その日、夕方に両親が面会に来ることになっていました。心拍数はさらに一段と低下し、不整脈も注射薬では抑えられない状態でした。

私が考えたことは、もはやこの子を助けることではありませんでした。両親の面会に合わせて、両親が見守る中で逝かせてあげようと考え始めていました。ICUの入り口に両親の姿が見えたら、私はECMOのダイヤルを絞って体外循環の流量を落とそうと考えていたのです。

しかし、そんなことをやってもいいのだろうか。それは「治療の差し控え」だろうか、「治療の停止」だろうか。それとも「積極的安楽死」に相当するのだろうか。私はこの子の命を軽んじているだろうか。それはない。このままだと、この子にも両親にもあまりにも残酷に過ぎるのではないだろうか。

私がダイヤルに向かってためらいながら右手を伸ばしたとき、入り口に両親が姿を現しました。その瞬間、アラームが鳴って心電図の線がフラットになりました。

「早く!」

私は叫びました。両親がICUの中を走ってきて、女児にそばにはりつきます。

「手を握ってあげてください」

私は心臓マッサージをしませんでした。そして腕時計に目をやり、その時刻を告げました。