「即位の礼」を迎える覚悟
翌日の能登半島では、民家の軒先に日の丸の旗が掲げられ、港では風にはためくたくさんの大漁旗に迎えられました。陛下はもちろん、いつもの笑顔で応えていらっしゃいました。
私は当時の日記に「宮さまはかわいそうだと思う」と書いています。どこを訪れても歓迎の人々に囲まれ、気が休まる瞬間がないように思えたからです。
それでも能登の砂浜を一緒に歩くと、陛下はふだんと変わらない穏やかな口調で「きれいな景色で気持ちいいですね」と話され、とてもリラックスしたご様子でした。
5月1日に「即位後朝見の儀」を拝見しながらふと思い出したのは、まだ高校1年生なのに群衆の前で少しも動じることがなかった陛下です。
「あの頃から、この日を迎える覚悟がおありだったんだ」
天皇になられた日、いまさらながらそう感じました。
その年の11月には、地理研で信州にも出かけました。一泊二日の旅は、加賀・能登と同じように行く先々で大歓迎を受けました。中山道の馬籠宿で泊まり、翌日は開通したばかりの恵那山トンネルを抜けて、名古屋から東海道新幹線で東京へ戻りました。
名古屋へ向かう観光バスは、前後に警護のパトカーや関係車両が何台もついていました。恵那山トンネルに入ったとき、陛下はバスの後方を振り返って、「すごいね~、ちょっと見て」とおっしゃっていました。見ると、パトカーの回転灯や車のライトが光り、トンネル内に反射して幻想的な眺めです。黙って見つめている陛下のお顔にも赤い光が走ります。感性の豊かな方だと思った瞬間でした。
御所に招かれて目にした、皇室の一家団欒
私たち留学生は、1976年1月10日にオーストラリアへ帰ることになっていました。日本での滞在日数が残りわずかとなり、お正月を楽しみにしていた大晦日のことです。ホームステイ先のお宅に1本の電話がありました。東宮御所の侍従さんから、私たち留学生を御所に招待してくれるという連絡です。陛下のお友だちから前もって打診があったので私はそれほど驚きませんでしたが、ホームステイ先のご家族は大騒ぎになりました。
新年が明けて、2日はそのご家族と皇居へ出かけ、一般参賀の列に並びました。昭和天皇と香淳皇后がガラスの向こうで手を振られる姿を拝見して、「あれが宮さまのお祖父さまとお祖母さまなんだ」と不思議な気持ちになりました。
東宮御所を訪ねたのは、その2日後です。私たちは、陛下へのお土産にカメラの本を持って昼過ぎにうかがいました。
御所は意外なほど静かでした。私たちは中庭に面した広い部屋に案内されました。奥にはグランドピアノがあり、ハープ、ビオラ、バイオリンなどの楽器も見えます。ご一家が演奏を楽しむ音楽室のようでした。