「海外の人と関わる」×「医師を目指す」

そんな高校3年の春、私の地元である浦安市の姉妹都市アメリカ・オーランドから来たアメリカ人数名に、東京を案内する機会に恵まれました。通訳付きでしたが初めて海外の人とコミュニケーションを取り、文化の違う人と知り合うことの楽しさを実感しました。医師になることを半ば諦めていた私は、海外の人と関わる仕事に興味を持ち、国際観光学部のある大学への進学を目指すことにしました。

しかしその年の冬、私は体調を崩して大学受験を断念。浪人を決意しました。「もう1年勉強できる期間がある」と、幼い頃から目指していた医学部への進学を夢見ましたが、両親からは「医学部に行くなら国公立、または(実家から通えて当時私大で学費が一番安かった)順天堂ならいいよ」と言われていました。

私の兄は、千葉でトップの進学校に通い、1年間浪人して毎日必死に勉強しながらも、国公立医学部には届きませんでした。その姿を間近で見ていたため、国公立医学部の進学にはあまり自信がありませんでした。

そこで、「海外の人と触れ合うことと医師になること、両方ができるところはないのか」と考え始めました。必死に毎日インターネットで「海外 医学部」などと検索し、アメリカやイギリスの医学部に関する情報を調べましたが、メディカルスクールの前に4年制大学に行かなければならず、ほぼオール5を取る必要があること、学費が日本の私大並みに高いこと、そして学生はほぼ全員ネーティブで、現地の人が多いとわかりました。

高校卒業から3カ月後にハンガリーへ旅立つ

それでも調べ続けていたところ、ハンガリーの医学部へ学生を斡旋している団体「ハンガリー医科大学事務局(HMU)」のサイトを見つけ、東欧の医学部を知りました。東欧の医学部には、外国人を対象に英語で医学を学ぶ「インターナショナルコース」があります。世界中から学生が集まって学ぶことに魅力を感じ、「これだ!」と決めました。

ブルガリアやポーランドの医学部も見つけましたが、当時どの東欧医学部からも日本人卒業生は出ておらず、日本人が日本に帰って医師として働けるのかはわかりませんでした。そのため、日本人が多く進学しているハンガリーを選択しました。

私は取り寄せた資料を見せて、両親に相談しました。なんでもチャレンジすることが大好きな父はすぐに後押ししてくれましたが、母は海外にすら行ったことがない私を心配し、とても不安そうな顔をしていたのを今でも覚えています。何度も家族会議を繰り返し、高校卒業から3カ月後の2013年6月、私はハンガリーへと旅立ちました。