スティーブ・ジョブズも陰では苦悩と努力があったはず

己の可能性に賭けるのは素晴らしい。だが、うだつの上がらない人生とその人生にかかわる人たちを否定する理由にはならない。たとえばサラリーマンはバタ足続きの人生である。サイコーな人生も陰ではバタ足をしているという意味では同じである。バタ足している姿をあらわにしているか、隠しているかの違いにすぎない。

故スティーブ・ジョブズのような天才でも、アップルの要職を解任されたりして、決して順風満帆な人生ではなかった。きっと、その陰には僕らには想像も及ばないような苦悩と努力があったはずだ。つまり、サイコーな人生を勝ち取った実業家や偉業を打ち立てた天才には、彼らにしかない大きな努力、バタ足があったはずなのだ。

バタ足続きの今の生活がイヤだから、バタ足とは無縁のサイコーな人生を送りたい、そういった理由ではどれだけ可能性がある人であっても、成功はかなり難しいのではないか。求められるのは、今までよりも強く長くバタ足を続ける覚悟と体力だからだ。

夢を追い続けるのは個人の自由なので、いっこうに構わない。ただ、カッコいい人生の陰の部分、バタ足を続ける覚悟と体力がない限り、確率的に夢のままで終わってしまうことが多いので、かなわなかったときにヤケクソになって、あおり運転等の反社会的行為だけはしないようにしてもらいたい。それだけである。

誰でもできる仕事は誰にもできない仕事になりうる

誰にもできないことをするのは、言ってみれば山に設置された階段を1段か、2段抜いて駆け上がっていくようなものだ。体力に自信がなければ難しい。1歩1歩確実に上っていくように、いつもの仕事を積み重ねることは、誰でもできるだろう。そういった誰でもできることを積み重ねていくことで、誰にも到達できない高みに達することはできる。

たとえば、その道何十年の中華屋のオヤジ。中学を出てから料理の修業をして誰にも真似まねのできないレベルのチャーハン仙人になり、何人もの弟子をかかえ、暖簾のれん分けもしている。

失礼だがチャーハン仙人に、ジョブズのような知性があったか、モーツァルトのような天才があったか。チャーハン仙人にあったのは、何十年も欠かさず火の前で中華鍋を振り続ける、バタ足を続けられる覚悟と体力である。そういったバタ足をやり続ける能力の価値は、アイフォーンをクリエイトする才能になんら劣るものではないと僕は考える。

己の人生に賭けて勝負に出る生き方も、会社や工場でこつこつ生きていくのも、あまり変わらないのだ。そこで得られるものに価値を見出して評価するのは他人ではなく、あくまで自分。乱暴にまとめてしまうと、誰でもできる仕事を、誰にもできないほど積み重ねれば、誰にもできない仕事になりうる、ということ。

もしかしたら、天才たちでも到達できない場所、なしえないこともできるかもしれない。そう考えれば、今生きている人生は決して捨てたものではない。頑張れる。