「自分はこの人たちとは違う」と無意識に思っていた
状況が変わったのは、施設に入って2カ月ほど経った頃です。
月に一度行うプログラムの進捗状況を確認する面談中のことでした。相談員の方に、改めて私の悩みを話したところ、「依存症か依存症でないか、そんなに大切なことですか? 薬物で問題を起こして仕事を解雇され、生活が立ち行かなくなった。ここにいる他の仲間と、そんなに違いはないと思いますよ。もっと共通点を探してみてはどうですか?」と諭されたのです。
確かに松本先生も施設に送り出す時に、「薬物で失敗した仲間がたくさんいる」と言っていました。せっかく施設に入って、やり直す決心をしたつもりでしたが、どこか心の中で「自分はこの人たちとは違う」という、いやらしい意識があったのかもしれません。
この言葉がきっかけとなって、少しだけモヤモヤしたものが晴れた気がしました。どうして自分はこの依存症の施設に通っているのかということを、ようやく真剣に考えるようになったのです。
施設のみんなとの共通点を探してみると、結構たくさん出てきました。酒が止まらなくて会社をクビになり、今もその会社のある場所を歩けないという人。私も放送センターのある渋谷は、知り合いに会うと思うと怖くて歩けません。同居している家族に対して、負い目がある人もいました。私も2年限定の予定だった姉との同居を解消できていないという負い目があります。
人と共感し合うのも悪いものじゃない
共通点について、もう一つ印象に残っている出来事がありました。ある日「お互いの共通点と相違点を探してみよう」というグループプログラムをやった時のことでした。5人くらいのグループで、最初のうちは、血液型とか、スイーツが好き? なんて、他愛のない共通点をワイワイ探していたのです。すると、突然仲間の一人が「死にたいと思ったことがある人は?」と聞いてきました。
私も含め、全員の手があがります。一瞬だけ空気がシンとしました。すぐに誰かが「でもよかったね。死ななくて」とつぶやいたことで、また元の賑やかな会話に戻ったのです。この出来事は、私がここにいても良いのだと、初めて感じることができたものでした。
これまでの人生を振り返ると、生きていく上で、人と共感することにあまり意味を感じていなかったように思います。学生の頃は、「アナウンサーになるために個性を磨け」と言われ、アナウンサーになったらなったで、「良いアナウンサーになるには個性を大事にしろ」と言われ続けてきました。
私は当時、個性というものを、人と違うことが良いことだと思っていました。そもそも「個性的」であることと「共感を大切にする」こと自体、同列にするものでもありません。遅ればせながらようやく人と共感することが悪いものじゃないと、気がついたように思います。