個人秘書の女性が40点ほどの作品選定に関与をしていた疑い

つまりは、美術系の大御所が「面白くなるかな?」と思って起用してみた素人が、面白かったかはともかく派手に事故って炎上したので「お前が悪かった」と大人が囲んで素人をぶん殴っているような話になっているので、これはちょっとなあと思います。

津田大介さんには、8月9日、22日と取材を申し入れたものの返答もない状態ではあるのですが、今回の検証委員会の報告書でも一部記述がある通り、関係者らの証言では津田大介さんの経営する会社で個人秘書となっている美術に詳しく親しい女性が、平和活動や現代美術の人間関係の中で素人同然の津田大介さんに成り代わり、40点ほどの美術作品の選定に深く関与していたのではないか、という懸念はあるようです。

報告書が指摘している「不自由展の企画段階で専門のキュレーターチームが参加しなかったこと」や「不自由展の準備においては警備を除いて関係者間のチームワークができなかったこと」は、こうした津田大介さんの公私混同に伴い、運営委員会や他キュレーターとの不協和音が大きくなった結果、このような問題に発展してしまったのではないでしょうか。

「表現の自由」に対しては党派性を抜きにして議論すべき

津田大介さんが芸術監督を辞任するかどうかはともかく、文化庁の補助金不交付を受けて、厳重注意を受けた津田大介さんに賠償を求めるのかや、今後のあいちトリエンナーレの開催方針にも影響するでしょう。

補助金が全額不交付決定されるような事態になれば、常識的には芸術監督は責任を取って役職を降りるべきところ、なぜか任命者である大村知事は津田さんに厳重注意とし、津田さんもなぜか芸術監督に留任する姿勢であるように見えるのは不思議なことです。誰も責任を取らないのもどうなのかと思うのですが。愛知県が係争処理委員会に持ち込むのか、あるいは津田大介さんが芸術監督就任の過程をどこまで明らかにするのかも含めて、まるでこのイベント全体が、時間と人間を使った巨大な芸術作品のようになっているのが印象的です。

今回の件で曲げてはいけない筋は、「電凸」を繰り返すソフトテロや行政の補助金不交付によって、美術・芸術の界隈が表現に萎縮しないよう細心の注意を払うことと、芸術監督の責任だったと津田大介さん1人をスケープゴートにしないことだと思います。

繰り返しになりますが、今回の文化庁による補助金全額の不交付決定の方針は、法的には問題のない美術作品の政治性・党派性に対する説明が不十分であったなら、それが不適切であるとして事後的に補助金の交付が取り消されてしまうという結構な事態です。これで表現する側が萎縮しないわけがありません。文化行政の点から、日本が後進的なんだと思われてしまいかねず、保守派である私からしても憂慮せざるを得ない状況です。

より高い次元の議論として、やはり検閲に対する考え方や、表現の自由に対して、党派性を抜きにして原理原則をきちんと追求することであり、問題を茶番に終わらせず、誰かにとって不愉快な表現でも社会がそれを容認し、表現に対する批判はあっても封じ込めをしてはならないというコンセンサスをいかにきちんと形成するかではないでしょうか。

※編集部註:初出時、津田大介氏の肩書きを「美術監督」としていましたが、正しくは「芸術監督」でした。訂正します。(9月27日6時30分追記)

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