教員の研究時間が減り、研究力は下がっている

大学教員も教務に駆り出される一方、学生教育も大教室での授業から少人数のアクティブラーニングにシフトし、その準備や評価にこれまでの数倍の時間が要されている。そのため大学教員の研究時間は減少し、それが研究力の低下につながっている。

ではそのような現状を踏まえ、改善するための大学財政政策が、実際に進められているのだろうか。

木村誠『「地方国立大学」の時代 2020年に何が起こるのか』(中公新書ラクレ)

2016年2月29日付読売新聞の記事「異見交論26『今のままの大学では生き残れない』」によると、当時金融庁参事官の神田眞人氏(現・財務省主計局の大学担当次長)は、「(大学の)改革を推し進めるためにも、『評価』が必要です」という記者の発言に対して、次のように答えている。

「ここが難しいところです。国が評価するより、学界、アカデミックコミュニティーが自浄作用として厳しいピアレビュー(学者同士での評価)をしてほしいのです。学者が学者に対して、大学が大学に対して、『おまえたちはそんなことではだめだ』と言うような。ところが、それができない。先ほどの『タテ割り』で隣に駄目だという能力も志もない。学問の細分化でもっと酷くなっています」

この発言の中で重要なのは「できない」という事実認識にある。

「競争」よりも「連携」を目指す方がいい

あくまで著者の私見ではあるが、今日、学者や研究者が大学内で、あるいは大学間で、相互を評価・批判するようなシステムはむしろできつつあると感じている。「おまえたちはそんなことではだめだ」という決めつけでなく、その教育研究活動を正当に評価し、批判すべきは批判するというシステムの構築は、十分に可能と思える。

大学学内では法人化で学長権限が増え、大学のガバナンスが進んだと言っても、競争的資金の獲得にハッパを掛けるだけになってしまっては意味がない。大学内で研究者同士、あるいは大学間で相互に評価する流れが生まれれば、大学同士で争わせて第三者が短時間で査定する「競争と集中」政策よりも、大学間連携による大学全体の教育、研究力の向上が果たされる可能性も高まるはずだ。

そう考えると、百貨店のようになった東大モデル志向の総合大学より、専門店のように魅力ある得意分野を持つ地方国立大学の間でこそ、大学や研究者の連携によるメリットは大きい。そして国の大学政策は競争より、連携による共創を目指すべきではないだろうか。

木村 誠(きむら・まこと)
教育ジャーナリスト
1944年神奈川県茅ヶ崎市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、学習研究社に入社。『高校コース』編集部などを経て『大学進学ジャーナル』編集長を務めた。著書に『就職力で見抜く! 沈む大学 伸びる大学』『危ない私立大学 残る私立大学』『大学大倒産時代』『大学大崩壊』(以上、朝日新書)など。
(写真=iStock.com)
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