「世代間の断絶」はあらゆるところで生じる

この手の「世代間断絶」は、ほんのささいな局面、さまつな事柄であっても、必ずと言っていいほど発生する。単に「打ち合わせ時の飲みものを選ぶ」だけでも、ここまで明確な差が浮かび上がってくるほどなのだから。そりゃ新入社員に対して「キミの歓迎会を開くから、参加してね」などと誘っても、「その時間は残業代がつくのですか?」なんて返されてしまうワケだ。

※写真はイメージです(写真=iStock.com/monzenmachi)

「一億総活躍社会」をうたう政府は、年金財政の破綻を先送りすべく、「75歳定年制」も視野に入れている……といった報道も散見される。だが、そのような取り組みは、本当に個々の労働者を幸せにするのだろうか。20代の労働者と70代の労働者がいきなり同じ職場に放り込まれたとしたら、果たしてうまく機能するものなのかどうか。

世代間の考え方の違い、価値観の違いというものは、たかだか10~20年差であっても如実に表れる。たとえば、われわれ40代は子どものころ、親から「歯医者に行ったら、あとでジュースを買ってあげるから!」などと、イヤなことをさせるときの「エサ」としてジュースを提示されたりすることがよくあった。それだけ、ジュースが特別なもの、なかなか飲ませてもらえないものだったのである。

40代以上にとってジュースは「特別な存在」

思い返してみると、小中学校のころは友人と何かで「賭け」をするとなった場合に「それじゃあ、ジュース1本賭けようぜ!」となることが多かった。また夏休み期間中、部活の練習が終わるころに「よ~し、みんなよく頑張っているから、今日は特別だぞ!」なんて調子で、顧問の教師がよく冷えた缶ジュースを用意してくれることがあった。

そこにはファンタ、スプライト、キリンレモン、メローイエロー、コカ・コーラ、こつぶ(つぶつぶ入りみかんジュース)、三ツ矢サイダー、マウンテンデューなどが取りそろえられ、われわれは狂喜乱舞しながら飲み干したものだ。何しろ部活における日常的な飲みものといえば、上に向けた蛇口から直接飲む水道水だったのだから。1シーズンに一度くらいしか体験できない“顧問がごちそうしてくれる、部活終わりの缶ジュース”は、いまでもキラキラと輝く、大切な夏の思い出となっている。

そんな、夢のような味わいだった炭酸飲料の記憶は、オッサン、オバサンになった今でも鮮明に残っているので、40代以上の人間が「水なんかをわざわざ買う理由がわからない」「せっかくお金を出すのだから、ジュースやコーヒーがいい」という発想になるのも致し方ないだろう。実際、私は完全にそういう発想の持ち主である。若者たちから「ケチくさい」「考え方が昭和」などと揶揄されたとしても、一度染みついてしまった飲みものに対する価値観や概念は、そう簡単には変わらない。

少し脱線するかもしれないが「ビールには、いくらでもカネを払っていい」「うまいビールを飲むためなら、どんな我慢も厭(いと)わない」という私の考え方は、多くの若者にとっては理解のできないこと、どうでもいいことだったりするだろう。「身体には決してよくないものなのに、どうしてそこまでこだわりが持てるのか」「なぜそこまでお金をかけるのか」とあきれているかもしれない。ただ、そもそも寄って立つ概念が根本的に違うので、相いれなくても仕方のないことだといえる。