政府が支出を増やせば経済活動が活発になって需要が生まれるというのがMMTの理屈だが、そもそも日本社会は需要の基になる「欲望」がなくなっている。少子高齢化による人口減少や将来に対する漠たる不安から低欲望化が進行し、日本人はお金を貯めるばかりでいっこうに使わないし、いくら金利が下がっても借りようともしない。だから個人金融資産が約1800兆円も積み上がり、その大半が金利もつかない銀行口座に塩漬けにされているのだ。

「欲望」は金利とマネタリーベースで操作する。これが20世紀の経済原論の大前提である。それが日本では崩れている、という実態を知らない学者が短期間のマクロ現象だけを見て考えると根本から履き違える。「今のところ大丈夫」が現実であって、「これがセオリー」というMMTの考え方は大変危険だ。

日本国債についても、学者的には日本人が買っているように見える。しかし、現実に国債を買っている日本人はほとんどいなくて、日本人が預金している金融機関が国債を買っている。外国の経済学者は「日本人が買っている限り、日本国債は安全」というが、日本国債を意識的に良しと判断して買っている日本人はほとんどいないのだ。学者はここを理解していない。個人ではなく金融機関や生保などの機関投資家が買っている以上、日本国債に対する食欲がなくなれば、国債暴落のリスクはあるのだ。

引退していくバブル世代が日本再生の鍵

MMTの最大の問題点は「インフレにならない限り」という前提で理論を一般化していることだ。

「インフレにならない限り、政府はいくら借金を膨らませても構わない」というのは、例えてみれば、「爆発しない限り、ダイナマイトをいくら部屋に置いてもいい」と言っているようなものだ。そんな部屋で暮らせるだろうか。やはり極力、危険物は取り除くべきだし、リスクを取り除いて少しでも安全にしておくことは、将来世代に対する現役世代の責務だと私は思っている。

勤労人口が減り、恐らくは収入も減っていく中で、将来世代はより少ない人数で残された借金を返済しなければならない。次の世代に重荷を押し付けて今の繁栄を享受したいと思っている人にはMMTは心地よく聞こえるかもしれないが、将来世代からすれば「ふざけるな」である。

「国債償還は我々の責任ではない。自分で借りたものは自分で返せ」と世代間闘争が勃発する可能性もある。実際にスウェーデンでそれが起きて、高齢者の医療や介護・福祉が大幅にカットされ、税率も上がった。