助けを求めることができないという共通点
この2010年の大阪の事件。そして、2014年に、トラック運転手の父親が借りていたアパートで白骨化した男児の遺体が見つかった神奈川県厚木市の事件。さらに、2000年に、ともに21歳の両親が3歳の女児を段ボール箱に入れて餓死させた愛知県武豊町の事件。
その3つの事件をたどってきた杉山は、武豊町の事件と大阪の事件の2人の母親と厚木の父親の3人に、過剰な「生真面目さ」という共通点があると指摘する。
この3人に共通するのは、自分自身の苦しさやつらさを感じ、そこから主体的に助けを求めるのではなく、社会の規範に過剰なまでに身を添わそうとして、力尽きてしまう痛ましい姿だ。本来なら到底実現できようもない目標を自ら設定し、達成しようとする。
3つの事件の親たちの背景をみれば、全員が子ども時代、ネグレクトや暴力的な環境で過ごしている。子ども時代には周囲の大人たちに、十分に自分の気持ちや意見を聞いてもらえないまま育った。育ちの過程で強い社会への不信を抱える。社会への不信は、自分への不信でもある。人に尊重されることを知らない。自分が周囲にものを言っていいということを知らない。環境を変える力があることを知らない。
困ったことがあるときに、相談できる相手がいること。責められ、自分だけで対処することを求められるのではなく、手を差し伸べてもらえること。そういう、安心して助けを求められる条件を欠いており、助けを求めたときに、助けが得られたという経験を欠いている人が、大きな困難に直面したときに、いきなり適切な対処能力を発揮することは、できない。
なのに、事件が起きると世間は、「なぜもっと適切に対処できなかったのか」と当人を責める。当人を責める一方で、安心して助けを求められる条件をどう整備するかには、目を向けない。
「母親を降りる」ことも大切だ
杉山は、さらにもう一歩、踏み込む。「母親が子育てから降りられるということもまた、大切だ」と。できないことを「できない」と言えずに引き受けさせられた大阪の女性は、問題に蓋をして、見ないようにした。その先に待っていたのは、子どもの死だった。
その女性・芽衣さん(仮名)について、杉山はこう語る。
芽衣さんは、離婚の話し合いの場で、「私は一人では子どもは育てられない」と伝えることができれば、子どもたちは無惨に死なずにすんだ。その後も、あらゆる場所で、私は一人では子育てができないと語る力があれば、つまり、彼女が信じる「母なるもの」から降りることができれば、子どもたちは死なずにすんだのではないか。そう、問うのは酷だろうか。
杉山の提案を受け入れがたいと感じる人もいるだろう。そんなことを認めてしまったら、育児放棄する女性が続出するのではないか、と。
しかし、安心して子育てができる条件を欠いている女性に対し、「母親なんだから、しっかりしなさい」と叱ったところで、問題は解決しない。そのことが薄々分かっていながら、母親に子育ての責任を押し付け、それ以上は見ないふりをする。そのとき、私たちは、果たして無関係な第三者なのだろうか。
法政大学 キャリアデザイン学部 教授
1965年、奈良県生まれ。東京大学大学院経済学研究科第二博士課程単位取得中退。日本労働研究機構(現・労働政策研究・研修機構)研究員を経て、法政大学キャリアデザイン学部教授・同大学院キャリアデザイン研究科教授。著書に『大学生のためのアルバイト・就活トラブルQ&A』(旬報社)など。