マスコミの報道が社会のマイナス面の指摘に偏りがちな理由
奇妙なことに今回の参議院選においては野党ばかりでなく、一部与党まで国民の暮らしが厳しくなったと半ば認めているように見受けられるのである。
世論調査や意識調査はそもそも国民の間でそういう誤解が生じないよう、大変な手間と税金を投入して実施されているが、メディアはそれらの結果を丹念に取り上げることはしないのである。
参議院選を前に国民の暮らしが良くなっているのかがひとつの争点になっているのに、新聞紙上で、今回取り上げた種々の世論調査や意識調査の結果がほとんど検証されていないのはいかにも不思議である。
欧米ではマスコミの言うことをそのまま信じる者は少ない。それに対して、日本人など儒教国の国民は「文」への尊重精神からか、マスコミの言うことを真に受ける傾向が強い。
このため、儒学者的な態度から社会のマイナス面の指摘に偏りがちなマスコミの報道が、自分たちの社会に対する暗い見方を必要以上に増幅するという副産物を生んでいるのも確かであろう。そして、これが、おそらく比較的高い所得水準の割に日本など儒教国の幸福度が世界的に見て低い大きな理由のひとつになっていると思われる。
「報道機関を信頼している」人ほど社会を暗く考え幸福度も低い
内閣府が2013年に行った「生活の質に関する調査」では、組織への信頼度別の幸福度を集計しているので図表4に掲げた。これを見ると、一般に、「国」「地方公共団体」「地方議会」「企業」といった種々の組織に対する信頼度が高い人ほど幸福度が高いことが分かるが、「報道機関」に関しては、「信頼している人」の幸福度があまり高くなく、また「信頼していない人」の幸福度が比較的高いという結果になっている。
このデータの解釈の仕方としては、批判的な見方をする人ほど報道機関への信頼度が特に高く、そういう人はもともと幸福感が薄いととらえるよりは、単純に、報道機関を信頼している人ほど社会を暗く考えてしまって幸福度も低くなると考えたほうがよいだろう。
社会をよりよい方向に改善していこう、という意識・意欲の高さは日本社会の進歩を生んできた日本人の貴重な国民性であるが、時としてそれは事実誤認を生みやすく、しかも幸福感を阻害することになっているとしたら、やはり、改善意欲の働かせ方についてはもう少し考え直すことが必要なのではないだろうか。