クリエイティブとは「古きよきものの再発見」である
【河野】ひとことで言えば「クリエイティブ」のヒントをどこから持ってくるか、ということですかね。新しい情報やビッグデータの中から抽出するというやり方もあるでしょう。でも、糸井さんも私も「自分の身になるコンテンツ」をどこから引っ張ってくるかというときに、ネット上の情報を躍起になって追いかけるよりも、もっと後ろを振り返れば手つかずの豊かなものが埋まっているんじゃないかとそれぞれに感じていたんです。
【小倉】何かきっかけはあったんですか?
【河野】きっかけのひとつには、志村ふくみさんという染色家の存在があります。作品もさることながら、彼女が色について綴ったすばらしい文章は、現代的な教養の中からだけでは出てこないと思いました。編集者として、志村さんの言葉の感性の成り立ちに興味があったんです。そのあたりのことを聞いてみたら20世紀の哲学書からも、古来の色からも同様に触発されておられました。
それを知って、新しいものだけでなく、古きよきものの再発見というのはクリエイティブなことなのだと改めて感じたんです。その志村さんが90歳になられる頃、若い世代のための芸術学校をつくろうとされます。それが糸井さんを非常に刺激しています。
「目」だけで情報を得ると「身体」が置き去りにされる
【小倉】僕がとても面白いなと思ったのは、ほぼ日の学校では座学だけじゃなくて身体を動かすことを積極的に取り入れていることです。これは、ラテン語辞書を作った人たちとも通じることです。ワードハンターが集めた言葉の一つひとつを、編集者たちは文献で確認するために、原典がある教会や図書館まで電車やバスに乗って出かけていった。たった一言の言葉を自分の目で見るために。現代はスマホさえあれば座って待っていれば世界中のかなりの情報が手に入る時代です。そんな中で身体的な作業で物事と関わり合うということの意義を再発見したような気がします。
【河野】古典の勉強というと普通はテキストを読んで理解するということになりますが、わたしたちはあるイベントで「ロミオとジュリエット」の有名なバルコニーシーンを観客全員で朗唱したことがあるんです。男女問わずロミオのグループとジュリエットのグループに分けてセリフを読み上げてもらった。つまり男性も「ロミオ、ロミオ、あなたはなぜロミオなの?」と大声でやるんです。これが結構盛り上がりました。目で読むだけでは意味しか取れないが、身体を通して声に出して言ってみることで気持ちが乗るんですね。
【小倉】声に出すというのは確かに気持ちのいいことですよね。
【河野】目で情報を得る中で身体が置き去りにされているのではないか。そう感じていたから、もう一度言葉と身体の関係を取り戻したかったんです。たとえば令和という元号で改めて注目された万葉集は、まず声に出して歌うことに始まり、それを残そう、伝えようと思った人が万葉仮名を考案していく。そのプロセスを自分自身がトレースしてみることはとても大事だと思います。目で読み取る意味以外の部分が自分の身体を通っていくという感動は、今の社会では得にくいものかもしれませんね。ほぼ日の学校ではそういうことをやりながら言葉との距離感を変えていきたいと思っています。