日本には「国がつくった辞書」が存在しない

【河野】イギリスでの辞書づくりには大学や国の機関が深く関わっています。一方で日本では国がつくった辞書はないんですね。辞書というものの成り立ちにも国によって差があります。

【小倉】そうですね。中世ラテン語辞書は準国家プロジェクトといってもいいと思います。といっても、辞書づくりの土台となる言葉集めはワードハンターと呼ばれるボランティアの人たちがやりました。ひたすら古文献を当たってイギリス国内にある中世ラテン語を採取しては事務局に送る。これをコツコツ続けたわけです。しかも彼らは、自分が生きている時代に辞書が完成するとは全く思っていない。

それでも時間と情熱を傾けられる理由が僕自身知りたかったし、現代の日本人にもぜひ知ってほしかったんです。かつて日本でも、たとえば水戸藩が二百数十年かけて『大日本史』を完成させたという例もあるように長い時間をかけて積み上げてひとつのものをつくっていくということをやってきました。今回の本で紹介したイギリス人の生き方に共感する人も多いと思うんです。

効率重視・利益優先から、世の中と次世代へのコミットへ

【河野】たしかに現代の日本人に訴える部分があります。いまの日本社会はスピードや効率重視、利益優先でまわっているけれど、生活は守りつつ「アナザータイム」を使って世の中の人々や次世代のために進んでコミットしていこうという動きが生まれているのも感じます。

【小倉】今回の取材を通して強く感じたことは「中世ラテン語辞書」づくりに関わった人たちが「古いもの」を残したり理解したりすることを非常に大切なことだと考えていたということです。河野さんが学校長を務めておられる「ほぼ日の学校」ではずっと古典をテーマにされていますよね。最初がシェイクスピアで、その次が歌舞伎、そして万葉集。こんどはダーウィンの授業が始まりましたね。僕のイメージでは糸井重里さんたちのようなクリエイターは常に新しいものをつくり出して世の中に提示する人なんですが、なのになぜ古典にこだわるんですか?