ちょっとしたことで傷ついたという心の傷シンドロームともいうべきものも増えている。他の人なら傷つかないようなことにも酷く傷ついてしまう。その結果、被害者意識が高まり、自分の受け止め方の過敏さは棚上げして、他罰的になりやすい。本人が辛いのは事実としても、何気ない言動に傷ついたとされては、周囲も対応に困ってしまい、ときに腫れ物に触るような扱いになる。
いずれにしても、このような落ち込みやすく傷つきやすい心を抱えていては、仕事面でも躓きやすいし、人間関係もぎくしゃくしてしまう。その結果、自分の世界を狭めてしまう。
その落ち込みやすい心の構え、傷つきやすい心の構えを何とかする必要がある。そこにも記憶の整理の仕方が関係している。そこを変えなければ、苦しい心理状況から脱することはできない。
何かと落ち込んだり傷ついたりするのは、他人が悪いわけでもなく、自分が悪いわけでもない。記憶システムが悪いのだ。だから、そこを変えれば、タフな心が手に入り、前向きの人生に転換できる。
人間としての成長機会を奪われていないか
これでわかっていただけたかと思う。「そのままの自分」ではダメなのだ。自分の心を鍛えることをしないと、ちょっとしたことにも傷つきやすい人間、いざというときにも頑張ることのできない人間になってしまう。そうなったら、だれよりも本人が一番辛いはずだ。
同じような目に遭っても、立ち直れないほどに傷つき落ち込む人もいれば、飄々と乗り越えていく人もいる。できることなら、立ち直れないほどのダメージを負って苦しい世界に足踏みするより、前向きに乗り越えていきたいものである。
「そのままの自分でいい」「頑張らなくていい」式の心のケア文化の中で甘やかされてしまうと、現実においてちょっとした困難にぶつかるたびに苦しむことになり、意味ある人生を切り開く力のないひ弱な人間になってしまう。
それは、一見大事にされているようでありながら、じつは人間としての成長の機会を奪われている。心地よく前向きに生きていく人生を手に入れるチャンスを奪われているのである。
ここは一念発起して、自分を成長軌道に乗せるべきだろう。そのためにも、自分をダメにしない発想の転換が必要だ。