「簡単なメール」も手につかなくなった

夫の発病直後、子供のサッカーの役員ができなくなったのはわかりやすい例で、簡単なメールのやりとりだけなのに、それがまったく手につかないんです。息も苦しくなったし、これはまずいなと。

そんなとき、やりかかりの大きな仕事がひとつあって、それは逆に助けになりました。夫は会社員じゃないから福利厚生的なものはありません。これをやっていればとりあえずお金が入るということで、なにも考えず没頭する時間が持てました。

あと関係あるかどうかはわかりませんが、夫が入院してから次男の声変わりが一気に進んだんです。その他にも第二次性徴と思われる変化があって、父親の病気と不在が影響しているのかも、と思いました。

――“献身的”という本の帯にあったキーワードは、患者家族が追い詰められないためのメッセージだったのですね。

がんでは、患者家族のことを「第2の患者」と呼ぶそうですね。とってもいい表現だし、そう言ってもらえると家族は楽になるんじゃないかな。

妻としては、「家族に病人を出してしまった」という負い目からスタートしているんですよね。そこからリハビリの手伝いやごはん作りなど、あれもこれもしなきゃいけないことがある。だけど生活のこともあるから、働きにも出なきゃいけない。

「家族がサポートして当たり前」というプレッシャー

そういえば退院のとき、塩分量を確かめられる食品成分表をご好意でいただいたんですけど、思わず「ごはんに気をつけなくちゃいけないのはわかってるから、もうこれ以上持ってこないで!」とカッとなってしまったんです。あ、相手にはもちろん言ってませんよ。

介護パンフレットを開けば「患者は家族がサポートして当たり前」みたいなイラストや写真がたくさん載っています。そうした無言のプレッシャーにさらされ続けると、「やってあげたいけど、あれもこれも無理!」と悲鳴を上げたくなってしまうんです。

そんな中で夫のズーンとした負のオーラを浴びると、やっぱり追い詰められます。

実際できることは限られていて、結局大したことはしていない。でもなんだかつらい。どうしてもしんどい。なんでだろう、なんでだろうって毎日思ってたんですけど、今ははっきりわかります。本当につらかったんだって。