「脳の病気はヤバい」全力で否定したかった
2014年2月、ライターの三澤慶子さんの夫(当時50歳)が脳梗塞を発病した。後遺症によって夫の右半身にはまひが残ったが、リハビリを続けながら仕事復帰。生業である映画評論家(※)として執筆活動を続けている。
※映画評論家の轟夕起夫さん
そんな一家の大黒柱を襲った突然の病と闘病の記録をつづった『夫が脳で倒れたら』(太田出版)の帯には、「“献身的”で、なくていい!」の文字が。その真意を、著者であり妻の三澤さんに聞いた。
――5年前の冬、旦那さんが脳梗塞になったときの状況を教えてください。
随分前から時々しびれがあって、違和感はあったようです。でもすぐに症状は収まるし、仕事も忙しいからと病院にかかることはありませんでした。
そうしていよいよ倒れる当日、彼の中でただならぬ異変が起きているようで、フラフラしながら「手がしびれる」「体がおかしい」と訴えてきました。「しびれ」が脳の病気の症状として出ることはなんとなく知っていたので、最悪の事態に備えて「一応、脳神経外科で診てもらおう」と病院へ向かいました。
MRI検査の結果「脳梗塞」と診断が出ても、「夫はまだ50歳だし……まさか彼が」という感じで、信じられませんでした。今思えば異常な事態を察知していながら、脳の病気を否定したい一心だったのだと思います。怖いじゃないですか、脳はヤバいぞと。
「殺してくれ」と言われても冷静に接する
――手や足に加え舌や腸まで、体の右側だけが徐々に動かなくなっていく中(※)、旦那さんから「殺してくれ」という言葉も飛び出していました。非常に過酷な状況だったと思いますが、三澤さんは終始、一定の距離を置きながら冷静に接しているのが印象的です。
※脳梗塞を起こしたのは右半身の筋肉を動かす部分だった。
これは他の夫婦と違うところかもしれませんが、普段からお互い干渉しないんですよ。
夫は映画評論家で、私はライター。互いに個人で文筆業をしているので、「われわれは別の人間である」という感覚が元から強かったんだと思います。
それに自宅が事務所になっているので、ほとんど四六時中一緒の空間にいるわけです。そこで日常的に意識していた、感情を一歩離して“距離を置く”という行為が、意外にも対患者スキルとして活きたのかなと。
それでも夫の情緒面での後遺症の浮き沈みにはどうしても引っ張られました。あ、“浮き”はないからどこまで“沈む”か、ですね(笑)。夫の放つネガティブなオーラからなるべく離れねばという自己防衛意識は働いていましたが、それでもかなり、心身ともに追い詰められました。