条件が流動的なために、正しい選択ができない

たとえば、就職活動をしているある女子学生が、志望企業の産休育休制度で悩んでいるとします。働く前からすでに産休について真剣に考えているわけですが、やはり職を選ぶうえでワーク・ライフ・バランスに関する制度は重要です。仮に、30歳までに結婚して子どもを産みたいと思っているのなら、その条件に合わせて会社を選んだほうがいいでしょう。

ただ、この学生にはいま恋人もいないし、婚約者がいるわけでもないと仮定します。すると、もしかしたら結婚しないかもしれません。あるいは、結婚しても子どもを作らないかもしれない。そうなると、産休育休制度が充実した会社よりも、じつはバリバリ働けて所得が高い会社のほうが幸せかもしれません。

つまり、子どもを作ることを前提に会社を選び、その選択が人生を大きく左右するにもかかわらず、子どもを産むこと自体が流動的であることで、正しい選択ができない状態に陥ることになるのです。

これは、まるで定数項のない方程式のようです。X+Y=ZのXYZには様々な値が入るため、どれかふたつの値を定めないと解が出せません。にもかかわらず、ひとつも値が定まっていない状態で人生の重要な選択をしなければならないのです。前提が定まっていないために、結果色々なことが決められないわけです。

バウマンは、あらゆる条件が流動的になることで、社会を支えていた多くの条件や社会の価値観が変化していくことを予見していたのです。

「なにも決めない」ことが現代では最も合理的

そうなると、なにがもっとも合理的な行動になるでしょうか。

それは「なにも決めない」ということ。つまり、「もう自分はこれに決めた」という態度がそれだけでリスクとなるため、むしろその時々で判断と行動を次々と変えていくのが、もっとも合理的に見えることになるのです。

このような生き方をする人を、先のバウマンは「選んでいる人」と呼びました。「選んでしまった人」ではなく、「いま選んでいる人」と表現したのです。

思えば、世の中には一度決めたらなかなか選び直せないことがたくさんあります。たとえば結婚もそう。離婚して再婚すればいいという考えはありますが、一般的には、嫌になったら相手をすぐに替える前提で結婚はしませんよね? だからこそ、「年貢の納め時」なんて言い方をするわけです。

でも、いまの時代は、もしかしたら結婚自体がリスクになるかもしれません。そうなると、「これからの人生はこの人と添い遂げる」と決めるよりも、つねに「選んでいる」状態であることのほうが合理的になる。そうバウマンは言ったのです。なにも決めないことがもっとも合理的な選択になるなんて、面白いと思いませんか?

じつは、このような考え方は「自己啓発」と相性がいいものです。自己啓発とは、いわば「すべての出来事は自分の気の持ちようで変えられる」とする思考法のこと。この考え方が流行する背景には、社会が複雑で見通しが立たないこと、幸せの形が個人的なものになったこと、そのために多くのことを社会のせいにできなくなったことがあります。

そのため、自分で決めるためのぶれない基準が定まらず、「いまはこれ」「次はこれ」と、その瞬間の気の持ちようでつねに「選んでいる」状態のほうがうまく乗り切れる気がしてしまうのです。