※本稿は、鈴木謙介『未来を生きるスキル』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
給与がなくなった老後を想像できているか
戦後の高度経済成長期の日本では、田舎から都会に出てきた人の多くがサラリーマンとして給与生活者となりました。高度成長は給与の上昇と生活水準の向上を同時にもたらしたため、多くの人の頭のなかに「給与が上がると生活が良くなる」というイメージが形成されたのです。
リタイア後の人生が短く、給与で得た貯金で老後もなんとかなった時代は、給与のことを考えるだけでこと足りました。しかし、現在は「人生100年時代」とも言われ、給与という「フロー」の資産が入ってこない期間が非常に長くなっています。
給与に頼っていても、どう考えても死ぬまではお金がもたないとなれば、早い段階からなんらかの形で「ストック」の資産を形成する必要があります。
この状況から見えてくるのは、「フローの資金である給与を支払う会社に人生を預けきれないのなら、どうすればいいか?」という視点です。
すると、より重要になるのはフローの資産がまったく入らない時期、つまり子どもの時期と老後になりますが、まずは誰もが直面する可能性が高い老後について考えておく必要があります。具体的には、「年を取ってフローの収入がなくなったときどうするか」という問題が現れるでしょう。
家庭でも会社でもない別の“居場所”
確かに、老後までにストックの資産をある程度貯めておくことは重要です。ただ、いまからはじめても遅い人もいるだろうし、すべての人が資産家になれるわけでもありません。老後にお金がなく、働き直すスキルがあるわけでもなく、もしかしたら健康でもないかもしれない。そんな状況に陥ったとき、いったいどのように生きていけばいいのでしょうか?
そこで、「人生100年時代」を見据えたとき、「ひとつの集団や生活基盤に頼らずに、リスクを分散して生きていく」必要性が出てきます。具体的には、家庭や会社だけではないもうひとつの場所、「サードプレイス」(※)を作る必要性がいま言われています。
※自宅(ファーストプレイス)や職場(セカンドプレイス)とは異なる第3の居場所。アメリカの社会学者であるレイ・オルデンバーグが、著書“The Great Good Place”(邦題:『サードプレイス―― コミュニティの核になる「とびきり居心地よい場所」』)で提唱。
このような社会の趨勢を深く考察したのが、17年に91年の生涯を閉じたポーランド出身の社会学者ジークムント・バウマンです。彼は00年に代表作『リキッド・モダニティ』で、あらゆる基盤が流動的(リキッド)になる時代と社会について分析しました。
この「リキッド」とはいったいどんな状況なのでしょうか。