ニッカウヰスキー創業者・竹鶴政孝夫妻の人生をモデルにした「マッサン」(NHK)が再放送中だ。朝ドラに詳しい田幸和歌子さんは「1920年ごろスコットランドに単身渡り、白人女性と結婚した竹鶴氏は波乱万丈な人生を歩んだ」という――。
ニッカウヰスキー蒸留所
写真=iStock.com/kitchakron
ニッカウヰスキー蒸留所 ※写真はイメージです

ニッカウヰスキー創業者、竹鶴政孝

2014年から2015年にかけて放送され、大きな話題を呼んだNHK連続テレビ小説「マッサン」の再放送が始まった。玉山鉄二が演じる主人公・亀山政春のモデルとなったのは、ニッカウヰスキーの創業者であり、「日本のウイスキーの父」と称される竹鶴政孝(1894~1979年)である。

100年前、本場スコットランドに単身渡り、「門外不出」とされていたウイスキー製造の秘密を学び、さらにはスコットランド人女性と国際結婚して帰国するという、当時としては型破りな人生を歩んだ竹鶴。その原動力となったバイタリティと、時代を見通す先見性はどこから生まれたのか。再放送を機に、実際の竹鶴政孝の足跡をたどってみたい。

竹鶴政孝は1894年、広島県賀茂郡竹原町(現・竹原市)で父・敬次郎、母・チョウ夫婦のもとに生まれた。生家は享保18年(1733年)から続く老舗の造り酒屋「竹鶴酒造」である。政孝は杜氏たちが米を洗い、麹をつくり、醪を仕込む姿を間近で見て育った。遊び場は酒蔵だ。新酒をしぼる時期には“新酒のたち”の祝いを指折り数えて待ち、春になると酒袋が置かれた広場でかくれんぼをした。

兄二人が嫌がり、酒蔵の後継者に

父は酒づくりに厳しい人で、「酒は、つくる人の心が移るもんじゃ」を口グセとしていた。政孝は後に「酒づくりのきびしさは、いつのまにか父を通して、私の血や肉になっていたようである」と自伝『ウイスキーと私』(NHK出版)で振り返っている。

ドラマでは4人兄弟として描かれたが、実際には四男五女の9人兄弟で、政孝は三男。長男、次男が家業を継ぐ気がなかったため、政孝に白羽の矢が立った。とはいえ、不思議な導きもあった。少年時代はかなりの暴れん坊で、8歳の頃には階段から転がり落ちて鼻を強打。本人は後年、「人が感じない“におい”を感じるようになり、のちに酒類の芳香を人一倍きき分けられるようになった」(同)と回想している。

当初は「酒屋という古めかしい商売には抵抗を感じ」ていた政孝だが、大阪高等工業学校(現・大阪大学工学部)醸造科へ進学。在学中にウイスキーに魅せられると、先輩・岩井喜一郎の伝手で大阪の摂津酒造を訪ね、阿部喜兵衛社長に直談判。卒業前の“押しかけ入社”で洋酒づくりの道に飛び込んだ。