社長命令でスコットランドへ渡る

何でも吸収しようと意気込む政孝は、蒸留のベテランから「お前には、まだ早い」「学校出になにができるか」とうるさがられるほどだったが、その姿勢が認められ、入社早々に洋酒関係の主任に抜擢される。12月の徴兵検査では「アルコールは火薬製造に必要」との理由で乙種となり、徴兵を免れた。すると阿部社長から特命が下る。スコットランドへ渡り、本場のウイスキー製造技術を学んでこい、と。

息子の帰りを待ちわびていた両親は落胆したが、阿部社長が広島まで足を運んで説得。家業を親類に譲ることを決め、かくして24歳の青年は前人未到の使命を背負って1918年、海を渡った。

政孝のバイタリティは海の向こうでますます発揮される。今のように移動手段がなかった時代、政孝がアメリカ経由で英国を目指す途中、第1次大戦のさなかで渡航許可が下りず、足止めを食らう。しかし、下宿屋の主人の入れ知恵でウィルソン大統領に電報を送り、翌朝手続きが完了。軍用船で大西洋を渡り、リバプールに到着した。