「やり甲斐搾取」を乗り越えた先には無限のフロンティア
一方、農業が儲からないという理由を糊塗するためか、農業に経済的な利益とは異なる意義を見いだす言説も跋扈(ばっこ)しています。「お金は儲からないけれど自然の近くで仕事ができる」「都市生活では希薄な人間関係が築ける」「野菜を育てるのは楽しいし、癒しになる」等々。要するに、経済的な不足を文化的・社会的な充足で補填するという考え方です。
しかし、これって「やり甲斐搾取」ではないでしょうか。自然の近くで働くことができて、濃厚な人間関係を築くことができれば、それで満足なのか。僕は全くそうは思わない。やり甲斐があって収入がある仕事こそ一番でしょう。僕は、農業でもやり甲斐と収入を確保できる社会を構想したいのです。
ここで言うやり甲斐とは、「自然の中で仕事できるのは楽しい」「野菜を育てるのは楽しい」といった牧歌的なものだけを指すのではありません。自分の努力で利益を上げ、収入を増やしていくという、プロフェッショナルな職業人としてのやり甲斐です。農業界は、いろいろな面で行き詰まっていますが、見方を変えれば「工夫の余地は無限にある」とも言えます。そんな僕にとっては、農業こそが無限のフロンティアに見えるのです。
なぜ民俗学の応用でレンコンがバカ売れしたのか
僕はこれまで、民俗学・社会学の研究者として、日本各地で農業を営む人々にインタビュー調査を繰り返してきました。このインタビュー調査を通じて、やり甲斐搾取の罠にはまっているとしか思えない農家、努力をもって経済的な充足を得ることが難しくなりつつある農家、そのことに気付かずに闇雲な努力をしているとしか思えない農家をいくつも見てきました。
一方で、農業にフロンティアを見いだし、立派に農業で稼げる仕組みを作っている人々もたくさん見てきました。著書『1本5000円のレンコンがバカ売れする理由』では、そうした経験を踏まえて、なぜ僕が、経営学ではなく民俗学を援用して「1本5000円レンコン」を構想し、バカ売れさせるところまで持っていったのかを語っています。
などと書くと「自慢話か」と思われるかも知れませんが、これまでの僕の経験は失敗の連続です。そもそも僕には普通の会社勤めをした経験がないし、ビジネスに関するノウハウも皆無でした。それでもめげずに前を向いてこられたのは、農家の息子として生まれた「業」のような部分もあります。
農村社会には共同体意識が濃厚に残っており、目立つ人には露骨な嫌がらせがされたりします。「村八分」的なメンタリティは、そうそう簡単には消えないのです。
「美しい自然に囲まれ、都会人のようにスレていない素朴な人たちが暮らしている牧歌的な農村」などというものは、農村を知らない都会人の脳内には存在するかも知れませんが、現実には存在しません。本の中では、そういったブランド論やマーケティングだけでは語り尽くせないドロドロした面も包み隠さず語っています。
私のこれまでの取り組みが、今後の経営方法について思い悩んでいる農家の一助となり、日本農業の目指すべき方向性への示唆となれば、望外の喜びです。
民俗学者
1981年茨城県生まれ。株式会社野口農園取締役。日本大学文理学部非常勤講師。日本大学大学院文学研究科社会学専攻博士後期課程修了。博士(社会学)。専門は民俗学、食と農業の社会学。