それでは、なぜ地域としてはブランド価値が最低の茨城産の農産物を高値で売ることが可能となったのでしょうか。それにはいくつもの理由があり、4月に出版した著書『1本5000円のレンコンがバカ売れする理由』の中では詳しく語っていますが、ここではいちばん根本にある理由を一つだけあげておきます。
それは、戦後農業を呪縛してきた「生産性の向上モデル」と決別したことです。
食料摂取の目的が劇的に変わった
生産性の向上モデルとは、生産面積を拡大し、常に技術革新や経営革新を怠らずに効率化・合理化を図り、生産コストを下げることによって利益を確保する、というモデルです。僕はこれに疑問を感じていました。そもそも日本には、アメリカや中国のような広大な農地があるわけではありません。規模を拡大して生産コストを下げて、効率化と合理化を図るにも限界があるわけです。
もちろん、生産性などどうでも良いとは言いません。人類の歴史は飢餓との戦いの歴史でもあります。日本でも、1961年に制定された農業基本法、その後の食料・農村・農業基本法においても、基本的には生産性の向上がうたわれ続けてきました。
しかし、現代日本は飢餓とは縁遠い社会となりました。それどころか、ゼロカロリーや脂肪燃焼効果をうたう食品や飲料が大流行しています。大げさかもしれませんが、この現象は社会が食事からカロリーを摂取するという目的自体を放棄し始めた、人類始まって以来の大変化ではないか、と僕は見ています。
こんな時代にあって農産物に生産性を求め続けるなど、あまりにも的外れではないでしょうか。ゼロカロリー飲料に限らず、そもそもお菓子や酒などは最初から嗜好品です。人はお腹を満たすためだけに食料を摂取するわけではないのです。
生産すればするほど儲からなくなるシステム
基本的に、生産性の向上モデルは大量に生産して大量の商品を安く売ることを目指しています。しかし、そのような大量生産大量消費モデルが時代遅れになっていることは、他の産業であれば常識でしょう。普通の商品であれば、価格帯の違う商品や目指すマーケットの違う商品が複数あって、選択は消費者に任されている。
同じ食品を扱う業界でも、農業の現場以外はとっくにこうした常識を共有しています。ゴディヴァの高級チョコレートと明治の「たけのこの里」は同じチョコレートですが、どちらを選ぶかは消費者次第。1本何十万円もするワインとスーパーで1本300円で売られているワインも、ワインというカテゴリーは一緒ですが、どちらを買うかは消費者の選択に任されています。
もちろん、「加賀野菜」「九条ねぎ」「魚沼こしひかり」などのように、ブランド化に成功している農産物もないわけではありません。しかし、大半の農業関係者は、いまだに大量生産大量消費を前提とした「生産性の向上モデル」を追い求め続けているように思えてならないのです。
このモデルは、端的に言えば「生産すればするほど儲からなくなるシステム」です。僕はこれに抗い続けてきました。食べるものは安ければ何でもいいわけではない。この考え方の延長線上にあったのが「1本5000円レンコン」でした。