「なんでパン捨てるんですか」
ある時、アルバイトで働いていたモンゴル出身の女の子が、売れ残ったパンを「前の日のパンでもおいしいね」と食べていた。
後日、彼女から言われた。
「なんでパン捨てるんですか。誰かにあげたらいいのに」
店では閉店後、毎日のように売れ残ったパンを捨てていた。25キロ入りの小麦の袋が満杯になるぐらいのパンを捨てることはざらだった。焼きたてのパンが人気だったため、田村さんは夕方まで窯入れを繰り返し、作りたてが店頭に並ぶ機会を増やすようにしていた。だがそうすると、午後に急な雨で客足が止まれば、バットに満載のパンを丸ごとゴミ袋へ入れなくてはならなくなることもあった。
保存料無添加のクリームパンや生の果物のデニッシュは、翌日にはとても出せない。1回でも食中毒を起こせば店は終わりだろう。そのリスクを冒すなら捨てた方がいい。パンを誰かにあげる暇だってない。
「パンをあげるなんて、日本ではできないんだよ」
田村さんは彼女に答えた。
こうした経験が積み重なる中、田村さんは自問自答するようになった。
「これは、このまま10年、20年、次の世代まで続けられる職業なんだろうか」
ウィーンの名店「勤務時間は4、5時間」
2012年春、田村さんは店を休業した。店のスタッフだった妻の芙美さんとともに田村さんが向かったのは、ヨーロッパだ。
1年半かけて、フランスとオーストリアのパン屋3軒に受け入れてもらって修業をした。最後に働いたウィーンの名店「グラッガー」での日々は、田村さんのパン職人としての認識を根底から揺るがす経験になった。
「朝8時に来て」
店からは事前にそう言われていた。パン屋の仕事は早朝から始まるのが常識だ。帰る時間が夜遅いのかな……といぶかりながら行くと、昼には仕事が終わった。勤務時間は4、5時間。自分だけでなく、他の職人も全員だ。拍子抜けした。
グラッガーのやり方は、日本のパン屋の常識と違うことばかりだった。日本では、パンの生地をこねたら数時間発酵させ、分割・成形をしてから再び発酵時間を取るのが一般的だ。だがグラッガーではそれも適当で、職人たちはこねた生地をすぐに分割・成形して、冷蔵庫に入れて帰宅していた。材料を混ぜたり、生地を切ったりするのも機械で、田村さんには「手抜き」に見えることが多かった。パンの具もほとんど入っておらず、ゴマを振りかけた程度だ。