生活の変化への反応も鈍くなっていきます。例えば、奥さんが新しい洋服を着ていたり、美容院でヘアスタイルを変えてきたとしましょう。お子さんが帰ってくるとすぐに「お母さん、髪を切ったでしょう。新しい洋服、どこで買ったの?」って聞いてくると思います。ところが、旦那さんが会社から帰ってきても、いっさい何も言わないんですね。これ、別に愛情が薄れたわけではなくて、大人は毎日同じような生活をしているから変化に気づきにくい。これが人間の意識の特徴です。

※写真はイメージです(写真=iStock.com/metamorworks)

これだと、やっぱりボケません?

例えば、田んぼを想像してみてください。意識して歩いてみたら本当にいろんなものがある。土の感触や匂い。風を感じて、鳥の声を聞いたり。そういう情報が無意識に入ってくるわけですね。しかし、都会に来てごらんなさい。まったく違ってきますよ。都会は人が生まれた環境ではありませんから。そして現代は、脳にフォーカスされすぎている。だから認知症が問題になるんです。田舎であれば、そんなに大ごとになりません。

私の知り合いのおじいさんが、認知症で入院していました。いちばん困るのは病院の至る所で小便をすること。結局、医者が田舎に帰しましたが、そしたら、おじいちゃん、いつも自分の畑に出ていって、必要になるとそこらで小便をしている。ただそれだけのことです。田舎にいれば何の問題もない。

都会では、なんでも数値に変換してしまう。僕はこれを問題だと思っています。認知症の人にとっては、きつい社会ですね。患者さんが数値に変わってしまう。検査をして数値を出したら、マイナスばっかりになる。あれができない、これができない、そのマイナスをどうやって埋めるかっていう話になり、治療をしようということになる。

人間がどんどん数値に変えられていく

僕の若い頃なんかは、治療法は少なかった。そのかわり医者は、非常に丁寧に、患者さんの過去を聞きました。

おじいちゃん、おばあちゃんの病気から始まって、「なんで亡くなりましたか?」という質問、ご本人も「どういう病気をされましたか?」とか。とにかく丁寧に問診しました。今のお医者さんは、そんな暇はありません。

患者さんの今の体の状態を検査して、すべて数値に変えます。CTなんかも、あれは全部、数値ですよ。画像と思っている方もいるでしょう。あれは、体の各部分を細かい立方体に分けて、そのそれぞれの立方体のエックス線の透過度を数値にするんです。それで皆さんの状態が、平均値からどれだけズレているかを確かめて、治療を施していくためのデータなんです。

医者は患者を診ない。見るのはカルテだけ。検査の結果だけ。ほぼすべて数値です。