※本稿は、池田達也『しょぼい喫茶店の本』(百万年書房)の第1章「僕は働きたくなかった」、第2章「100万円ください」、第6章「グルーヴはひとりじゃ生まれない」の一部を再編集したものです。
「ちゃんとしていなきゃいけない」という重圧感
僕は働きたくなかった。
ただただ働きたくなかった。
理由はよくわからない。
大学生時代、アルバイトをしてみたこともあった。学費や家賃は親が払ってくれていたし、ブランド物が好きだったわけでもなく、飲み会や旅行にもあまり行かなかったので、そんなにお金のかかる学生ではなかったように思う。仕送りもあったので、まったく必要には迫られていなかったのだけれど、ただ、周りの友人はみんなアルバイトをしていて、アルバイトをせずに親の脛をかじっているのはクズだみたいな空気に耐えられなくなって始めてみた。
でも、ネットカフェ1日、居酒屋3か月、プールの監視員2か月、レストラン半年、喫茶店半年とどれも続かなかった。
別に人間関係が悪かったとかブラックバイトだったとかいうわけじゃない。働いている間ずっとスイッチを入れ続けている、あの感じが本当に無理だった。「ちゃんとしていなきゃいけない」。
あの感じがすごく疲れてしまう。バイト先に行った瞬間、本当の自分を捨ててちゃんとした自分を演じるのが辛かった。社員さんが目を合わせてくれなかったり、コップを少し強く置いたりするだけで、自分が何かしてしまったんじゃないかと考えてしまう、あの感じが大嫌いだった。
お金より気楽さを求めて自営業を選んだ
自分はちゃんとしているつもりでも、誰かの機嫌を損ねてしまっているかもしれない。じゃあ自分はもっとちゃんとしないと。もっとしっかり演じないと。もっともっと本当の自分を捨てて、だめな自分を見せないようにしなければ。そんな悪循環をどのバイト先でも繰り返した。働けば働くほど、本当の自分はだめなやつなんだという気持ちが強くなった。そんな気持ちが溢れてしまうと、パタッとバイトを辞めてしまう。そして、辞めてしまったことで、より一層自分はだめなやつなんだという気持ちが増していく。
だから、僕は働きたくなかった。
そう考えてみれば、自営業で生きていくのは僕には向いているのかもしれない。働くのが嫌だと思っていた理由のほとんどは、環境によるものだった。周りの人にずっと気を遣い続けるあの感じだとか、ちゃんとしていなきゃと思うのも環境に対して思うのであって、その環境を自分で構成し、そこで働く自営業なら、自分を殺し続けるあの感じもない。
どんなにお金がもらえたとしても、嫌なことはしたくない。逆に、嫌じゃないことや楽しいこと、やりたいと思えることだったら、お金が少ししかもらえなくても問題ないし、むしろやりたいことがやれた上に、お金がもらえたらラッキーという感じだ。