カネボウ化粧品時代には百貨店の化粧品売り場に行き、フロアの隅の柱の陰から売り場で働く美容部員たちの姿を眺めたものでした。テイクアンドギヴ・ニーズでは、披露宴の裏方として働く社員たちの姿を会場の端から見ていました。

カネボウ化粧品社長時代に「自分の背中を押すために」訪れたという、母校・神戸高校のグラウンド(写真上)とカネボウの化粧品売り場(同下)。知識氏にとってはそれが「心が落ち着く場所、清らかになれる場所」であった。(AFP/時事、兵庫県立神戸高等学校=写真)

「あの子たち、頑張っているな」と思いながら、「こんなところで俺がくよくよしてたらいけないな」「しんどいけど、やらなければいけない」と覚悟を決めるのです。大きな決断には、心が落ち着く、心が清らかになれる場所が必要だと思います。

決断に際し心がけていることの第4は、「後悔しないと決意する」こと。過去のことを後悔しても元には戻りません。「あのときこうしていれば」と考えるのは時間の無駄。だから反省はしても後悔はしない。そう自分に言い聞かせ、その覚悟が決まってから決断を下します。そのためにこそ決断に至るまで考えに考え抜き、葛藤し続けるプロセスが必要です。決断に十分な想いと覚悟がなければ、そこに後悔が生まれるからです。

反対押し切り勤務シフトを変更

日本交通はかつてカネボウ化粧品で経験したような企業再生のフェーズではありません。しかしここでも就任以来、それまで業界の常識であったオペレーションや仕組みを大きく変えてきました。

たとえば多くの乗務員の勤務シフトは、過去数十年にわたり、朝7~8時頃に出庫して、深夜2時頃に帰庫するというのが一般的でした。これは需要の多い昼間と長距離のお客様が多い深夜の時間帯に十分な稼動を確保するためです。しかし、実際のところは無線の注文が多い早朝から午前中に車両の供給が足りなくなり、売り上げのロスが目立っていました。このようなデータをもとに、私は社長就任から3カ月で「午後3時前後に乗務員の出庫時間の中心を移す」ことを決め、多くの反対を押し切って実行に移しました。

また従来は中途採用中心だったタクシー乗務員の募集についても、大卒採用を行うように指示し、今では毎年150人ほどを乗務員として採用するようになっています。こうした変革の結果、日本交通は3期連続で最高益を更新し続けています。

「経営者は孤独だ」といわれます。その通りです。部下には上司がいますが、経営者の後ろには誰もいませんし、部下に甘えることも弱みを見せることも許されません。

もちろん大きな決断の前には、社員や社外の人を通じて多くの情報を集め、意見を聞き、どの道を採るかを考えます。しかし、最後に決めるのは自分です。決断の結果は社員をはじめ多くの人にさまざまな影響を与えるでしょう。経営者はその重みを受け止め、一人静かに自分と向き合うしかないのです。

知識賢治(ちしき・けんじ)
日本交通社長
1963年1月、兵庫県生まれ。県立神戸高校から同志社大学法学部に進む。85年に同大学を卒業、鐘紡に入社。2004年5月~09年3月、カネボウ化粧品社長。10年6月~15年6月、テイクアンドギヴ・ニーズ社長。15年10月、日本交通社長に就任。
(構成=久保田正志 撮影=遠藤素子 写真=AFP/時事、兵庫県立神戸高等学校)
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