活動再開のきっかけは坂本龍一のクリスマスコンサート

放言が原因の場合はともかく、警察沙汰を起こした芸能人が活動を自粛するのは、社会的影響を考えればやむをえないのだろう。活動自粛を余儀なくされた芸能人にとって、その期間は自分を見つめ直す契機なのかもしれない。ビートたけしは謹慎中、読書に明け暮れ、そこからのちの人気番組『平成教育委員会』につながるアイデアを得ている。

不祥事を起こした歌手が、謹慎期間を経て、音楽業界の賞を獲得した事例もいくつかある。槇原敬之は覚醒剤事件で逮捕されてから4カ月後の1999年12月、懲役1年6カ月・執行猶予3年の判決を受けた直後、坂本龍一のクリスマスコンサートにサプライズ出演して、事実上活動を再開した。

本格復帰は翌2000年11月にアルバム『太陽』をリリースするまで待たねばならなかったが、その後、SMAPに提供した「世界に一つだけの花」がヒットし、教科書にも掲載されるなど平成を代表する名曲との評価を得た。

社会復帰できるかどうかは結局は本人次第と言ってしまえばそれまでだが、個人が責任を負うのにはやはり限界がある。所属事務所やテレビ局、さらには社会全体でバックアップしていく体制を整えることも必要だろう。とりわけ薬物に関しては、事件を起こした本人が治療の必要な場合も多いだけに、なおさらのはずだ。

「教授の優しさを大切に受け止めたかった」

ちなみに先述の槇原敬之の坂本龍一のコンサートでの復帰は、坂本が槇原に直接メールで出演を打診して実現した。槇原は10代のときから敬愛していた坂本に、このとき初めて対面したという。周囲のスタッフからは「常識を考えたら出るべきではない」と大反対を受けながらも自らの判断で出演を決めた彼は、その心境をのちに次のように明かしている。

《そういう立場の僕をゲストに出すということは、教授[引用者注:坂本龍一のニックネーム]にとってマイナスのイメージにつながることでしょう? それにもかかわらず、僕を元気づけようとライブに誘ってくださった教授の優しさを大切に受け止めたかったんだ。教授が僕のことを“音楽をやっている者”としてちゃんと見ていてくださったということも本当に嬉しく思えたし、あの日は歌いながら本当に幸せな気持ちになってた》(松野ひと実『槇原敬之の本。』幻冬舎)(文中敬称略)

近藤 正高(こんどう・まさたか)
ライター
1976年生まれ。愛知県出身。著書に『タモリと戦後日本』(講談社現代新書)、『私鉄探検』(ソフトバンク新書)、『新幹線と日本の半世紀』(交通新聞社新書)。「cakes」にて物故した著名人の足跡とたどるコラム「一故人」など雑誌やウェブへの執筆も多数。
(写真=時事通信フォト)
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