「もう東京に住処を戻すことはない」と考えている
哲学者のスピノザが、自分が本来の自分であろうとするエネルギーのことを「コナトゥス」と言っています。このコナトゥスが破壊されたり麻痺したりすると、世の中で「よい」とされているものを盲目的に信じ、うらやましがられるような人になる方向へ、自分のエネルギーが向かってしまうそうです。それは本来の自分から相当ずれたものですから、徹するためにはどうしても無理をすることになる。そうすると、日々の生活が空疎なものになっていきます。
電通時代にもこんなことがありました。実家へ帰ったとき、僕が仕事の電話に出たのを聞いていた母が、「あなた、仕事ではいつもあんな話し方なの?」とすごく驚いて、「あなたらしくないわよ……」と言ったんです。当時は「電通マンかくあるべし」というイメージ通りに振る舞うことに一生懸命で、コナトゥスが麻痺している自分にまったく気づいていなかったんです。母のその言葉を聞いて嫌な予感がしたのですが、結局、ストレスで肺に穴が開いてしまっていました。
その後、しだいに自分の人生を見直すようになりました。自分の人生は自分が主人公の映画の脚本を自分で書いているようなものです。脚本家として考えたとき、このドラマはいやだな、このままこんなふうに仕事を続けていくのはちょっと違うな、と。もっといい場所があるんじゃないかと思ったんです。そのときふと頭に浮んだのが、週末によく遊びに行く友人宅がある逗子あたりの海でした。
でも当時は移住まで考えていなかった。とりあえずあのエリアにセカンドハウスを持つのはどうだろうかと思い立ち、不動産屋を巡ってたまたま出会ったのがいまの家です。結局、セカンドハウスではなく本宅になりました
もう東京に住処を戻すことはない、いまはそう考えています。
毎週日曜日は朝8時から夕方5時までヨットの練習
葉山に来て、当然ながら都心とは生活スタイルが変わりました。楽しみなのが、土曜朝の逗子の小坪漁港です。漁師さんが朝獲れたばかりの魚を発泡スチロールのケースにドサッと入れて「3000円でどう?」と売ってくれ、僕も「こないだのコノシロおいしかったよ」などとフィードバックする。通ううちに顔見知りになっていくのが楽しいんですよね。
でも、ここへ移ったばかりの頃は、「この土地にうまくなじめるのだろうか」という不安を少なからず感じていました。週の半分は都心へ出勤していますし、ビジネス面で地域とのつながりはありません。そんなとき、妻が小5の長男を町営のヨットスクールに入れたいと言い出しました。
毎週日曜日の朝8時にハーバーに集合して、夕方5時まで練習。基本的に両親のどちらかの同行が必須です。とくに男性は2級小型船舶操縦士の免許を取得して、ヨットと一緒に海に出てレスキューのサポートをする役目を担います。