「旧軍将校」の空白を埋めた「軍事ライター」の質

このような「伝統」は戦後も長く続いたものの、平成に入ってからは「新しい軍事史」や「広義の軍事史」を唱える研究者たちが続々と現れ、多くの成果を上げている。とはいえ、こうした研究は、主として軍隊と社会の関わりに注目するもので、社会史や日常史の研究の延長線上にあるものだった。ゆえに、作戦・戦闘史、用兵思想といった「古い軍事史」、「狭義の軍事史」には手がつかぬままというのが、実情であった。

一時期まで、かような溝を埋めていたのは、本格的な語学教育を受けていた旧軍将校、あるいは、そうした人材で、戦後自衛隊に入った人々だった。彼らは、ドイツ軍事史の研究動向紹介において、顕著な活躍を示した。戦後、ドイツの将軍たちが広めた「参謀本部無謬論」やヒトラーへの敗戦責任の押しつけといった議論を輸入したという問題点はあったにせよ、理解の水準という点では、欧米のそれに比べても、さして遜色(そんしょく)はなかったのである。

しかし、ドイツ語と軍事を知悉(ちしつ)した元将校や古い世代の研究者が世を去るにつれて、欧米のドイツ軍事史研究が翻訳されたり、紹介されることも少なくなっていった。この空白を埋めたのは、軍事や歴史学について訓練を受けたわけではないけれども、戦史・軍事史に強い関心を抱いているライターだった。

日本でのロンメル理解は1970年代の水準で停滞

好きこそものの上手なれで、彼らの記事や著作のなかには、高いレベルの記述がないわけではない。だが、研究史を押さえるという点への配慮は乏しく、最新の成果と、とうの昔に否定された議論が同居するようなものが少なくなかった。

拙著のテーマであるロンメル将軍についていえば、そうした事情がとりわけ悪影響をおよぼしていた。「名将ロンメル」か「総統に盲従した将軍」か、両極端の議論ばかり。ここ四十年ばかりのあいだに欧米で刊行された、おびただしいロンメル研究のほとんどが紹介されず(アメリカの軍事史家デニス・ショウォルターの『パットン対ロンメル』が翻訳されるという例外があったとはいえ)、日本でのロンメル理解は1970年代の水準で停滞していたのだ。

とりわけ問題だったのは、いまやネオ・ナチのイデオローグとなったイギリスのデイヴィッド・アーヴィングによるロンメル伝『狐の足跡』が翻訳され(原書は1977年出版、邦訳は1984年刊行)、一見、大部で詳細にみえることからか、日本限定であるけれども、スタンダードの位置を占めたことであろう。