死語ばかりの「中世ラテン語」の辞書をつくる意味
1冊の辞書を完成させるのに100年という歳月をかけた人々がいる。『英国古文献における中世ラテン語辞書』の作成プロジェクトは、1913年にスタートし、2度の大戦を経て2013年に辞書が完成した。スペインのバルセロナに建設中のサグラダ・ファミリア大聖堂は、1882年に着工され、完成予定は2026年。この大聖堂ほど有名ではないが、イギリスの中世ラテン語辞書は、それに匹敵する大文化プロジェクトだった。
僕はロンドン駐在時にこの辞書の完成を知った。「中世ラテン語辞書プロジェクト、100年かけてついに完了」と新聞各紙、BBCなどがこぞって報じた。大ニュースというわけではなかったが、この見出しを目にしたときの衝撃は大きかった。おおげさでなくドキンとしたといってもいい。100年もかけて辞書をつくり上げた人たちはいったいどんな人たちだったのか。そもそも、なぜ現代のイギリス人に新しいラテン語の辞書が必要なのか。
英国の辞書づくりにはかねてから関心があった。『オックスフォード英語辞典(OED)』は英語の事典としてもっとも信頼されているもので、毎年OEDがどんな新語を追加するかがニュースにもなっている。好奇心に突き動かされて、取材が始まった。取材をすすめるにつれて疑問と興味が膨らんでいった。中世ラテン語とはどんな言語で、英国の文化や社会にどんな影響を与えたのか。なぜ、それほどまで時間をかけても英国人はこの辞書をつくったのか。
話し言葉では「死語」でも、書き言葉として残った
それを知るには少々歴史をひもとく必要がある。ラテン語は古代ローマの言葉である。ローマ帝国が領土を拡大する過程でラテン語は欧州、北アフリカ、中東に広がった。ローマからの直接の影響がなくなったあとも、西欧では教会や役所の公文書のほか哲学や科学の発表論文は中世ラテン語で書かれてきた。話し言葉としては「死語」であっても、中世ラテン語は書き言葉として生き永らえ、地域の言語や文化の影響を受けながら変化してきた。イングランドにはイングランド特有の中世ラテン語があるように、それぞれの地域には、地域特有の中世ラテン語が存在している。
それにも関わらず欧州の知識人は1678年にフランス人のデュ・カンジュが編纂した『中世ラテン語辞典』にずっと頼ってきた。ただ、この辞書は中世ラテン語を古典ラテン語で説明したもので、現代の英国人にとってはすこぶる使い勝手が悪かった。この状況を改善するため、イギリス人は対象を英国の文献に絞る形で完全なる中世ラテン語辞書づくりに挑んだのだ。