「自分たちの歴史を理解する道具を手に入れた」

完成した中世ラテン語辞書を手にとるリチャード・アシュダウン氏。プロジェクトの最後の編集長を務めた。(撮影=小倉孝保)

また、100年という時間を費やした末に完成した辞書の価値について、こんな風に説明している。

「こうした辞書がなければ、誤った理解が正しいことのように広まることになります。辞書ができたことで、そうした間違いを修正する武器を持ったのです」
「この辞書の完成で英国人は自分たちの歴史を理解する道具を手に入れたのです」

僕にとっては、編集者たちが時間やビジネスについて語った言葉も印象に残っている。

「(プロジェクトが成功したのは)とにかく継続したことでしょうね」
「コンピューターが登場する前でしょう。(中略)誰から急かされることもない。思えば、いい時代でした」
「経済的観点でこのプロジェクトを語ることに意味はないと思います」
「自然科学にしても人文科学にしても、商業的観点から正当化すべきでないはずです」

知的エリートたちは「車が見えなくなるまで見送る」

辞書プロジェクトとは直接関係はないが、知的エリートたちの姿勢から学ぶことも多かった。彼らは例外なく時間に厳格だった。約束時間に遅れた人はただの1人もいなかった。駅で待ち合わせしたときは改札で、大学で待ち合わせたときは正門で、そして、自宅を訪れたときは、玄関に出て僕を待ってくれていた。そして、取材が終わって別れるときは、僕の車が見えなくなるまで見送ってくれた。

そのほか、ゆっくりと食事をすること、会話のところどころでユーモアやラテン語の箴言を入れること、あまり大きな声で話さないこと。そうした食事や会話の習慣を彼らは自分に科しているようなところがあった。