なぜ「定年退職間際」のタイミングを選んだか

【内田】若い世代のためとは言っても、結構、個人的なリスクが大きいですよね。

【田中】この裁判を55歳で始めていたら、教育委員会から不遇な扱いを受けていたかもしれません。今だって、目に見えない、いろいろなプレッシャーを感じています。「組織に反対したら、いじめるぞ」って。「いじめをやめなさい」と言っている人たちが、いじめてくるんだよ。おかしいでしょ。そこに気がつけないのは、悲しいことですよね。

【内田】55歳の段階では、まだ自分の教師としての人生が残っているから、提訴は無理だった。自分へのリスクを最小限に抑えられる定年直前の今、提訴に踏み切った。

【田中】そう。定年になる年か、せいぜいその一年前くらいだったら、自分へのいじめや不遇を最小限に抑えられる。前々から「いつかは、やるぞ。けじめをつけるために裁判するぞ」とは思っていましたけど、定年間際が最善のタイミングということです。さらに取材のときに匿名で応じれば、子どもや保護者、学校への迷惑も最小限にとどめられる。

【内田】なんて戦略的! まさに、今しかなかったわけですね。

「学校は、変えられますよ」

【内田】田中先生は、定年退職後も何からの見通しを立てていらっしゃるのですか。

【田中】再雇用という形で働けるなら、そうしたいです。

【内田】行政にケンカ売ってるから、再雇用は難しそうな気がしますが……。

【田中】それはわからないけれど、これから学校現場がどう変わっていくかを見ていきたいんです。そして、その変わっていく様子を発信していきたいんです。裁判をやっているのは、自分の強みです。管理職も気を遣わざるをえない。裁判で訴えているからこそ、今の学校には改革の素地ができつつある。日本のトップレベルになる気がする。学校は、変えられますよ。

【内田】先生、強い! 教員として働きつづけて、学校を変えてほしいです。闘いは、これからが本番ですね。

【田中】裁判は、4年くらいは覚悟しています。最高裁まで闘う覚悟でいますから。その4年間の裁判を通して、無賃残業への関心が世の中に拡がっていけばいい。日本をよくしたいですね。